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2019年01月26日10:12

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ひろ子の思い出

昨日私は神代監督のことをつぶやき神代さんのことを久々に思い出し
私にとって神代さんはこの世界で生きようと決心させた監督だった
私にとってそれほど重みのある監督は黒澤監督とベスト3に入る
相米監督がいる『セーラー服と機関銃』の時撮影初日薬師丸ひろ子の演技
が気に食わなくNGを出し続けてワンショットも撮れなかったことがある




チーフ(助監督のトップ)が私の処に飛んで来て「お前はひろ子を全力で守れこのままだとひろ子は壊れる」と言って来た壮絶な現場であった私はとりあえず「はい」と言い
何故チーフはそんなことを言ったのだろうと考えた私が助監督の中で一番若くひろ子と歳が近いからだろうと思ったそれから監督のひろ子いじめは続き撮影は進まなかったこの分だと作品は完成しないだろうと思っていたそんな状況の中ひろ子はよく耐えたと思う作品は完成し打ち上げの時ひろ子はお母さんと出席していた何故お母さんと?と思うと
ひろ子はまだ未成年だったからである。 打ち上げの宴もたけなわの時
ひろ子はお母さんと私の前に現れ「この度はひろ子が大変お世話になりまして」と礼を言われた私は「何もできませんで、ひろ子さんはよく頑張ったと思いますこれから辛い時は





この映画を思い出しひろ子さんなら何でも乗り越えられると思います」私は撮影のことを思い出し少し涙ぐんでいたこれには私が一番驚いていた、お母さんは私に手を差し出し
私はその場をつくろうために手を出したお母さんは私の手を軽く握りしめ頭を下げ
「本当にありがとうございました」ひろ子も涙ぐんでいた・・・映画は角川映画では最大なるヒットでまだこの記録は破られていない、相米監督も亡くなり今だから私にもわかる
あの現場で地獄の中にいたのは相米さんだと・・それからひろ子が新作に出演した作品を保護者の気持ちで映画館やTVで観ることがあるその時私は「お前なら出来る頑張れ」と心の中でつぶやいている・・

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