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2020年03月26日05:21

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3月26日

米軍が沖縄の座間味島に上陸。172人が自決。沖縄戦が始る:昭和20年のこの日。沖縄戦(沖縄の戦い)は、太平洋戦争末期の昭和20年、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナーいくさの意)ともいう。
3月26日、アメリカ軍は、沖縄本島への上陸に先立ち泊地や水上機基地などを設置するため、第77歩兵師団を慶良間諸島の座間味島など数島へ上陸させた。日本軍は慶良間諸島は地形が険しい狭い島で航空基地の適地もなく、沖縄本島に先立っての侵攻を想定していなかったため、地上部隊をほとんど配備していなかった。展開していたのは、本島防衛任務の四式肉薄攻撃艇(マルレ)部隊である陸軍海上挺進戦隊3個とその支援部隊程度であった。第32軍司令部は出撃困難と判断して機密保持のためマルレの処分を命じた。すでに事前空襲で300隻のマルレの多くを地上撃破されていた各部隊は、命令に従って島の奥へ後退した。慶留間島所在のマルレのうち4隻のみが出撃して、うち2隻が攻撃後に本島へ生還した。アメリカ軍は29日までに慶良間諸島全島を占領した。アメリカ軍第77歩兵師団の記録によると、31日までに日本兵530人が戦死・121人が捕虜となり、アメリカ兵31人が戦死・81人が負傷した。アメリカ軍の慶良間諸島上陸と同じ3月26日に、日本側では陸軍第10方面軍司令官と海軍連合艦隊司令長官が、天一号作戦を発令した。同日中には早速、陸海軍の通常攻撃機46機が薄暮にアメリカ機動部隊を攻撃、また第8飛行師団誠第17飛行隊の九九式軍偵6機とその他8機合計14機の特攻機が慶良間沖のアメリカ艦隊を攻撃した。本特攻隊は少数ながらも戦果は大きく、駆逐艦「オブライエン」大破・死傷者126名、駆逐艦「キンバリー」中破・死傷者61名、他に軽巡洋艦「ビロクシ」と駆逐艦2隻を損傷させている。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、沖縄本島に艦砲射撃をおこなう戦艦アイダホ。
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