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2020年02月13日02:03

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2月13日

第二次大戦で、無防備都市宣言をしていたドレスデンを英米空軍が爆撃。2万人以上が死亡:1945年のこの日。ドレスデン爆撃(Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦終盤の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ陸軍航空軍)によって行われた、ドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。
1945年2月4日のヤルタ会談で、ソ連のアレクセイ・アントーノフ陸軍大将は英米の戦略爆撃に対し2つ提案を行った。一つはソ連軍に対する誤爆を避けるためドイツを南北に縦断する線を引き、これより東への爆撃にはソ連の許可を取ること。もう一つは東部戦線へのイタリアやノルウェーからの増援を妨害するため、ベルリンとライプツィヒにある交通の結節点を麻痺させて欲しいということだった。これに対し大筋で英米は合意したが、イギリス代表であるポータルはドイツ国内の工場や都市の情報を見せ、ドイツ東部に位置するドレスデンの空襲なしでは、ベルリンやライプツィヒの施設が破壊されてもドイツ軍はドレスデンを通って東部戦線に増援できてしまう、と指摘し、アントーノフもドレスデンを攻撃対象に入れることに了解した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、市役所から見た爆撃直後のドレスデン市街(1945年)。
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