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2020年02月11日04:08

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2月11日

ヤルタ会談が終了:1945年のこの日。ヤルタ会談(Yalta Conference)は、1945年2月4日から11日にかけて、当時のソ連クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で行われた、アメリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦による首脳会談である。第二次世界大戦が終盤に入る中、ソ連対日参戦、国際連合の設立について協議されたほか、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで、大戦後の国際レジームを規定し、東西冷戦の端緒ともなった(ヤルタ体制)。
1945年1月にポーランドを占領したソ連軍(赤軍)がドイツ国境付近に達しつつあり、西部戦線においてはアメリカ・イギリス等の連合軍がライン川に迫る情勢のもと、連合国の主要3カ国首脳の会談が行われた。会談の結果、第二次世界大戦後の処理についてヤルタ協定を結び、イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの分割統治、ポーランドの国境策定、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の処遇などの東欧諸国の戦後処理が取り決められた。併せて、アメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連対日参戦、および千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの大日本帝国領土の処遇も決定し、2017年現在も続く北方領土問題の端緒となった。また、戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式について、イギリス・アメリカ・フランス・中華民国・ソ連の5カ国(後の国際連合常任理事国メンバー)の拒否権を認めたのもこの会談であった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、リヴァディア宮殿で会談に臨む(前列左から)チャーチル、ルーズベルト、スターリン。
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