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2020年01月29日02:12

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1月29日

『中央公論』『改造』の編集者が検挙される。戦時下最大の言論弾圧事件とされる横浜事件の始り:昭和19年のこの日。横浜事件は、第二次世界大戦中の昭和17年から昭和20年にかけて生じた、雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、約30人が有罪となり、4人が獄死した事件である。戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた。平成17年に再審が開始され、罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴判決が下された。
昭和17年、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が、「共産主義的でソ連を賛美し、政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題となり、『改造』は発売頒布禁止処分にされた。そして9月14日に細川が新聞紙法違反の容疑で逮捕された。捜査中に、細川嘉六と『改造』や『中央公論』の編集者などが同席した、細川を中心とした集合写真が細川の郷里・富山県泊町(現・下新川郡朝日町沼保)の料亭旅館「紋左(もんざ)」で見つかり、日本共産党再結成の謀議をおこなっていたとされた(泊事件)。実際は細川が昭和17年7月5日、出版記念で宴会を催した際の写真であったとされている。昭和18年に改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などに所属する関係者約60人が次々に治安維持法違反容疑で逮捕され、神奈川県警察特別高等課(特高)は激しい拷問をおこない、4人が獄死(神奈川県警察の管轄事件であったために横浜事件と呼ばれるようになった)。真相については現在でも不明な部分が多く、言論弾圧的な側面だけではなく反東條英機の有力な重臣であった近衛文麿の失脚を期したものではないかと推測される場合もある。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、「泊事件」集合写真。
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