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2020年01月25日03:50

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1月25日

帝国議会で民政党の中野正剛が「満洲某重大事件」(張作霖爆殺事件)を追及:昭和4年のこの日。昭和4年の春の議会において、当時の若手代議士であった民政党の中野正剛が議会において満州某重大事件をとりあげて、激しく政府を追求したのは、むしろ当然のように受け取られた。けれども野党側も政府側も、張作霖の名も日本軍人の関与という事実も公には口から出さなかったために、迫力が乏しい論戦になったのはやむをえなかった。
中野 正剛(明治19年2月12日〜昭和18年10月27日)は日本のジャーナリスト、政治家。東方会総裁、衆議院議員。号は耕堂。
張作霖爆殺事件は、昭和3年6月4日、中華民国・奉天(現瀋陽市)近郊で、日本の関東軍によって奉天軍閥の指導者張作霖が暗殺された事件。別名「奉天事件」。中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採って、「皇姑屯事件」とも言う。終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件」と呼ばれていた。(出典:今日は何の日、Wikipedia、中村隆英『昭和史【合本版】』から)画像は、中野正剛。
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