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2020年01月19日05:07

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1月19日

反日共系学生が半年前から占拠・封鎖していた東大安田講堂が、機動隊の出動により封鎖解除:昭和44年のこの日。東大安田講堂事件とは、学生の自発的組織である全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が昭和44年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。
封鎖解除1日目。警視庁警備部は8個機動隊を動員し、1月18日午前7時頃医学部総合中央館と医学部図書館からバリケードの撤去を開始、投石・火炎瓶などによる全共闘学生の抵抗を受けつつ、医学部・工学部・法学部・経済学部等の各学部施設の封鎖を解除し安田講堂を包囲、午後1時頃には安田講堂への本格的な封鎖解除が開始された。しかし、強固なバリケードと、上部階からの火炎瓶やホームベース大の敷石の投石、ガソリンや硫酸などの劇物の散布など、学生の予想以上の抵抗に遭った。警察側の指揮官佐々淳行は「なるべく怪我をさせずに、生け捕りする」ことを念頭に置き封鎖解除を進めたために、全共闘学生への強硬手段をとれない機動隊は苦戦を強いられたと記している。ただし、機動隊は催涙弾を装填したガス銃を学生に向けて発射しており、そのために学生側には負傷者が複数発生した。また学生側の島泰三は、警察側の攻撃計画が「建物を攻略する城攻めには驚くほど無知」で「実にずさんだった」と評している。午後5時40分警備本部は作業中止を命令。18日の作業は終了した。なお、午後には神田地区(お茶の水付近)で「全都学生総決起集会」が呼応する形で開かれ、デモ隊を組織して街頭で機動隊と衝突している。デモ隊は東大を目指したが、本郷三丁目駅付近まで到達したのが限界で、午後9時には解散した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、東大安田講堂。
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