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2019年12月12日05:16

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12月12日

支那事変(日中戦争)からの一連の戦争を総称して「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定:昭和16年のこの日。大東亜戦争(Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。昭和16年12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。
12月12日には東條内閣の閣議において、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」が閣議決定された。この閣議決定の第1項で「今次ノ對米英戰爭及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戰爭ハ支那事變ヲモ含メ大東亞戰爭ト呼稱ス」と明記し、支那事変(日中戦争)と「対米英戦争」を合わせた戦争呼称として「大東亜戦争」が公式に決定した。また「平時、戰時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス」ともされた。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、東條内閣の閣僚、昭和16年10月。前列軍服姿が東條英機首相、彼の右隣りが鈴木貞一国務大臣、左端が嶋田繁太郎海軍大臣、右端が岸信介商工大臣。
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