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2019年11月18日03:36

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11月18日

支那事変(日中戦争)に対応するため、戦時外でも大本営の設置を可能にする大本営令公布。20日に皇居内に大本営を設置:昭和12年のこの日。大本営は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸命、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部としての機能を持つ。本来「本営」とは総司令官が控える場所(中世の本陣と同義)で、これを更に仰々しい名にしたもの。日清戦争と日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争(支那事変)では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま、太平洋戦争終戦まで存続した。連合国からは「Imperial General Headquarters」と呼ばれた。太平洋戦争末期の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。このことから現在では、権力者が自己の都合の良い情報操作をして虚偽の情報を発信することを揶揄した慣用として「大本営」「大本営発表」という表現が用いられることがある。なお、陸海軍連合大演習および陸軍特別大演習においては司令部でなく、天皇の行幸行在所を「大本営」と称した。現在は防衛省市ヶ谷地区に庁舎遺構が残っている。大本営は、陸軍および海軍を支配下に置く戦時中のみの天皇直属の最高統帥機関として、明治26年5月22日に公布された戦時大本営条例によって法制化された。日清戦争における大本営は明治27年6月5日に設置された。明治26年制定の海軍軍令部条例により平時においてのみ陸海軍の軍令が対等となったばかりであり、戦時大本営条例により戦時における海軍の軍令をも統括していた陸軍の参謀総長のみが幕僚長とされた。同年9月15日、戦争指導の拠点を広島に置くために天皇が移り、大本営も広島に移った(広島大本営)。明治29年4月1日大本営解散の詔勅によって解散した。日露戦争における大本営は明治37年2月11日に設置された。このときは明治36年の大本営条例の全部改正により軍事参議院が設置され、戦時においても軍令機関が対等となったことから、陸軍の参謀総長、海軍の海軍軍令部長の両名ともに幕僚長とされた。明治38年12月20日解散した。日中戦争(支那事変)は「事変」であり、正式には戦争ではなかった(とされていた)ため、昭和12年11月18日、大本営設置を戦時に限定していた大本営条例は廃止され、新たに戦時以外に事変でも設置可能にした「大本営令」が制定された。昭和12年11月20日、大本営が設置され、そのまま太平洋戦争に移行した。戦争末期には長野市松代町に建設した地下壕へ大本営の機能を移転する計画も立てられたが(松代大本営)、未完成のまま終戦を迎え、昭和20年9月13日に廃止された。「大本営令」は、同年11月30日に廃止された。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、昭和天皇御前の大本営会議の様子(昭和18年4月29日付朝日新聞掲載)。
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