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2019年10月23日03:57

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10月23日

アメリカの政治家バルークが上院で「冷戦」という言葉を初めて使う:1948年のこの日。冷戦(Cold War)もしくは冷たい戦争は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。1945年から1989年までの44年間続き、アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力(火力)で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷戦」という語は、ジョージ・オーウェルがジェームズ・バーナムの理論を評した時に使っており、後にバーナード・バルークも使い、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマンが1947年に上梓した著書の書名『冷戦―合衆国の外交政策研究』に使用されたことから、その表現が世界的に広まった。各陣営とも構成国の利害損得が完全に一致していたわけではなく、個別の政策や外交関係では協力しないこともあったなど、イデオロギーを概念とした包括的な同盟・協力関係である。
バーナード・マネス・バルーク(Bernard Mannes Baruch、1870年8月19日〜1965年6月20日)はアメリカ合衆国の官僚、政治家、投資家。サウスカロライナ州出身のユダヤ系アメリカ人。戦争を一種の公共事業と認識している人物で、第一次世界大戦ではウッドロウ・ウィルソン大統領の側近(大統領選挙に協力した見返りとして大統領府へ自由に出入りできる立場)となり、戦時産業局長官を務め、当時世界最大の工業国家となったアメリカにおける軍産複合体の実権を握り、外交分野でもドイツに巨大な賠償金を課した賠償委員会の議長として活躍した。以後もハーディングやクーリッジ、フーバー等の歴代大統領に対し、特別顧問という特権的な肩書きでアメリカの重要政策に関わり続ける事でアメリカの執政に必要なあらゆる政治的ノウハウを学ぶと同時に、重要な政治部門の実力者と個人的なパイプを強化し、実質的に大統領以上の政治的影響力を行使できる立場に立った。その結果としてルーズベルト政権が成立した1930年代には、強大化した政治的な影響力を利用し、公的にも金融界の大物から長老政治家というスーパーエリートへ転身を遂げることに成功。フランクリン・ルーズヴェルト大統領の顧問として大いに専権を振るった。ハリー・トルーマン政権でもその影響力は低下することなく国連原子力委員会の米国代表に選ばれ、バルーク案によりアメリカの核独占による世界平和を唱えた。冷戦という言葉を初めて使い、それが戦後の世界情勢を意味する言葉として認められた事実は、彼の特権的な地位を証明している。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、バーナード・バルーク(1920年)。
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