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2019年08月18日03:00

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8月18日

内務省が地方長官に占領軍向けの性的慰安施設の設置を指令:昭和20年のこの日。特殊慰安施設協会は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所である。英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。日本を占領下に置く連合国のうちの1国であるアメリカ軍は、公娼制度を認めず慰安所を置かないことが判明しており、またイギリス軍やオーストラリア軍をはじめとするイギリス連邦軍も大量の将兵を占領任務に当てることから、これらの連合国軍兵士による日本の一般女性に対する強姦事件が予測されたため、日本国政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」(ニコラス・クリストフによる)を募集し、連合軍向けの慰安所を設立。総計55,000人(あるいは53,000人とも)が集まった。その後昭和21年に、ポツダム命令による公娼制度廃止の方針と、前アメリカ大統領(当時)フランクリン・ルーズベルト夫人エレノア・ルーズベルトの反対、加えて性病の蔓延を理由として、GHQにより特殊慰安施設は廃止された。特に性病に関しては、東京などを除けば衛生管理が不徹底だったため、敗戦の混乱と相俟って慰安婦の6割が梅毒など、何らかの性病に罹患していた。RAAとは別に、連合国軍の女性兵士用の「慰安夫」も存在した。百瀬孝らによれば、昭和21年に名古屋に進駐した女性兵士用に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、尿の検査を受け、松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が与えられ、半年間特定の女性伍長の専属になった。勤務は一日置き。食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったという。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、「特殊慰安施設協会」が運営した売春施設(安浦ハウス)。
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