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2019年03月20日03:51

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3月20日

ミュンヘン郊外のダッハウに最初の強制収容所の設置を発表:1933年のこの日。ダッハウ強制収容所(Konzentrationslager Dachau)は、ドイツ・バイエルン州・ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツの強制収容所である。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。「ダハウ強制収容所」と書かれる事もある。現在、別館については、難民をはじめとするホームレスの保護施設として使用されている。
全部で30以上の国々から20万人が送り込まれ、その内の3分の1近くがユダヤ人であった。32,099人が収容所内で死亡し、他に約1万人が主に疾病、栄養失調、自殺によりダッハウの支所で死亡した。1945年初頭にナチスの撤退後にチフスが流行し、体の弱っていた囚人の多くが死亡した。ダッハウより大きいアウシュヴィッツ同様、ダッハウは多くの人にとってナチス強制収容所の象徴になっている。ダッハウ強制収容所はイギリス軍やアメリカ軍に解放された2番目の収容所であったため、多くの人々にとって重要な場所となっている。従って、西側諸国がナチスの蛮行に直に接した最初の場所の一つであった。当初、解放したアメリカ軍はダッハウでガス室による大量虐殺が行なわれていたと発表した。実際に1942年7月末にナチスはガス室を設置するようダッハウに命令を下しており、ダッハウに偽装シャワー室のガス室がつくられている。だが、この収容所でガス室が実際に稼働した事実を証明する資料はない。ダッハウでは絞首刑や銃殺による処刑も他のナチ強制収容所と比べるとかなり少なかった。ダッハウ強制収容所は、第一次世界大戦の際に火薬工場として使われていたダッハウの町の廃工場を利用して建設された。この廃工場とその用地は親衛隊(SS)隊員の兵営にする予定で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権掌握直後に購入した物だった。1933年3月20日にバイエルン州警察長官ハインリヒ・ヒムラーは記者会見を行い、ダッハウ強制収容所の設置を発表した。3月22日にダッハウの運営は開始された。この収容所は当初からSSによって運営され、ヒルマール・ヴェケルレ(Hilmar Wäckerle)SS中佐が初代所長に就任した。3月23日に最初の収容者として60人の政治犯が送られてきた。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、解放直後の正門。
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