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2019年02月24日04:09

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2月24日

湾岸戦争で多国籍軍による大規模地上攻勢「砂漠の剣作戦」が発動。3日間でクウェートを奪還:1991年のこの日。湾岸戦争(Gulf War)は、1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆して始まった戦争である。
1990年8月2日、イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表した。これに対し、諸外国は第二次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決への努力を始めた。国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めるとともに、11月29日に武力行使容認決議である決議678を米ソは一致して可決し、マルタ会談とともに当時の冷戦の終結を象徴した。翌年1月17日にアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領はアメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけた。諸国政府はこれに応じ、いわゆる多国籍軍が構成された。アメリカ軍が多くを占めるこの連合軍にはノーマン・シュワルツコフ米陸軍中将が司令官となり、イギリスやフランスなどといったヨーロッパのみならず、イスラム世界の盟主サウジアラビアを始めとする湾岸諸国(湾岸協力会議)やアラブ連盟の盟主エジプトといった親米アラブ諸国、さらにイラクと同じバアス党政権のシリアのような親ソ連の国も参加した。この湾岸戦争に参加したアラブ諸国はシュワルツコフではなく、サウジアラビアのハリド・ビン・スルタン陸軍中将の指揮下に置かれた。国際連合により認可された、34ヵ国の諸国連合からなるアメリカ、イギリスをはじめとする多国籍軍は、バース党政権下のイラクへの攻撃態勢を整えていった。イラク政府による決議履行への意思無きを確認した諸国連合は、国連憲章第42条に基づき、1991年1月17日にイラクへの攻撃を開始した。イラクのサッダーム・フセイン大統領は開戦に際し、この戦いを「すべての戦争の母」と称した。また呼称による混乱を避けるため、軍事行動における作戦名から「砂漠の嵐作戦」とも呼ばれるこの戦争は、「第1次湾岸戦争」、また2003年のイラク戦争開始以前は、「イラク戦争」とも称されていた。このクウェートの占領を続けるイラク軍を対象とする戦争は、多国籍軍による空爆から始まった。これに続き、2月23日から陸上部隊による進攻が始まった。多国籍軍はこれに圧倒的勝利をおさめ、クウェートを解放した。陸上戦開始から100時間後、多国籍軍は戦闘行動を停止し、停戦を宣言した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、「砂漠の嵐」作戦進路。
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