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2019年02月16日04:18

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2月16日

米軍機1200機が関東・東海地方の各地を攻撃。以降、空襲が激化する:昭和20年のこの日。日本本土空襲は、太平洋戦争中に連合国軍が日本各都市に対して行った爆撃である。昭和19年末から本格的な戦略爆撃となり、長期間の大規模な無差別爆撃も実施された。
アメリカ陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルドは中国からのB29の爆撃をやめさせてその部隊をマリアナに合流させ、昭和20年1月20日、ハンセルの後任としてカーチス・ルメイ少将を司令官に任命した。アーノルドはルメイが中国から行った高い精度の精密爆撃の腕を買い、昭和19年11月13日の時点でルメイの異動を検討していた。また、ルメイは、中国大陸で作戦中の昭和19年12月、漢口大空襲でB-29と焼夷弾による大規模な都市空襲を実行して市街地に大損害を与えた経験があった。ルメイはすでにハンセルによって準備、実験された無差別爆撃の方針、戦術を基本的に踏襲したが、ルメイの独創性は進入高度の変更にあった。従来は高度8500mから9500mの昼間爆撃を行っていたが、高度1500mから3000mに変更、理由はジェット気流の影響を受けないこと、エンジン負荷軽減で燃料節約し多くの爆弾を積めること、爆撃が正確に命中すること、火災を密度で合流し大火災にできることであった。しかし低空では敵の迎撃機、対空砲があるため夜間爆撃にした。また機銃、弾薬、機銃手を外し爆弾を200キロ増やせるようにし、編隊ではなく単機直列に変更、これに乗員は恐怖したが、B29の損害は軽微だった。3月10日の東京大空襲から焼夷弾を集中投下する無差別爆撃が本格的に開始され、耐火性の低い日本の家屋に対し高い威力を発揮した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、米軍の空爆予告の伝単。昭和20年8月1日に広島や長崎その他33都市に投下された。裏面には軍施設への攻撃予告と避難指示、日本国民を軍事政権から解放する旨の文章が記載。
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