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2021年02月28日16:21

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ヒロシマ再訪

2015年8月に発表した記事です。


1945年8月6日・午前8時15分。世界で初めて核兵器が人間の住む都市に対して使用された。それから70年経った今年、この重い事実を心に刻むために広島を訪れた。原爆ドームの周辺は現在は公園になっているが、原爆が投下された時にはこの地域は繁華街だった。当時広島には市民や軍人ら約35万人がいたが、原爆によって1945年末までにその4割にあたる約14万人が死亡した。爆心地に近い地表の温度は、約3000度に達したと推定されている。爆心地から1.2キロメートル以内の地域では、市民の80%から100%が即死した。平和記念公園に沿って流れる川を眺めると、水を求めてこの川に飛び込んで亡くなった人々の姿が目に浮かんでくる。
 広島平和記念資料館(原爆資料館)にも向かった。ここを訪れるのは、今回で4回目だ。外国人の訪問者も多く、みな黙りこくって熱線で溶けたガラス瓶や三輪車、屋根瓦を見つめている。熱線を浴びたために、顔を含めて全身が炭化した瀕死の重傷者。真っ赤に焼け爛れた皮膚の写真。ケロイドの標本。この原稿を書いている今も、瞼から離れない。
 現在この資料館では、展示内容を更新する作業が進められている。このため私が訪れたときには、残念ながらいくつかの部屋が閉鎖されていた。たとえば現在は原爆の被害を受けた人々の人形を使い、原爆投下直後の広島を再現した廃墟のジオラマがあるが、新しい資料館では「人工物は使わずに、実物で原爆の惨禍を伝える」という方針に従い、このジオラマは廃止されるようだ。
 私は、原爆被害について詳しく伝えることは勿論大切だが、原爆投下に至る20世紀のの戦争の歴史についてわかりやすく訪問者に伝えることも、重要だと考えている。さもなければ、なぜ広島と長崎が核攻撃を受けたのかについての、歴史的な文脈が理解できない。今後展示内容がどのように更新されるのか、注目する必要がある。
 一時は盛んだった日本の原水爆禁止運動は、原爆を体験した指導者たちが世を去るにつれて、昭和期ほどの影響力を持たなくなった。今なお米国、ロシア、英仏、中国などの国々が核兵器を保有している。これらの国々の現実政治(レアールポリティーク)的要請は、世界で唯一の被爆国・日本の声を完全に無視した。東アジアの政治的緊張を、一刻も早く緩和する必要がある。

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