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2020年08月07日13:57

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ホテル

2006年に書いた原稿です。

超リッチホテル出現

 日本に比べると、ドイツのホテルやレストランは、比較的安い。可処分所得の低さのせいであろう。それでも最近では富裕層を対象にした、豪華ホテルが出現している。
その例が、旧東ドイツ、波の荒いバルト海に面したメクレンブルグ・フォアポンメルン州の一角にある。
港町ロストクから、海岸に沿って車を西へ走らせると、四階建ての豪壮な洋館が姿を現す。白亜の壁が、朝日を浴びてオレンジ色に輝いている。この建物の南隣には、正面に円柱を並べ、ギリシャの建築様式を取り入れた、宮殿のような建物が、そびえている。純白の破風には、ラテン語で「ここでは歓びが君を待っている。保養地を去る時には、健康な身体になり給え」という言葉が書かれている。
一七九三年にドイツで初めて開かれた、海沿いの保養地、ハイリゲン・ダムである。フリードリヒ・フランツ一世という公爵が、当時のドイツで一級の建築家だったセヴェリーンやデンムラーらに造らせた保養ホテルは、古典主義の雰囲気を漂わせ、ドイツ的な重々しさを持っている。十九世紀には、ベルリンなどから上流階級に属する人々が、休暇を過ごすために足しげく訪れるようになった。
ナチス台頭後は、ヒトラーがムッソリーニとともに、ハイリゲン・ダムを訪れたほか、党の幹部らが海岸沿いの建物を保養施設として利用した。戦後東ドイツの社会主義政権は、この施設を富裕層ではなく労働者の保養所として開放し、ザクセン州の鉱山で健康を害した炭鉱夫らがここで静養した。しかし、資材不足に悩んだ東ドイツでは、潮風にさらされる洋館を修復することができず、建物には傷みが目立つようになった。
ドイツ統一後、ハイリゲン・ダムに大きな転機が訪れる。ケルンの不動産開発グループが、二億三千二百万ユーロ(三百二十四億八千万円)を投じて、この保養施設と周辺の土地五百ヘクタールを買い取り、富裕層のためのリゾート地を開発したのである。高級ホテルグループ・ケンピンスキー社が二00三年に開いたグランド・ホテルには、ドイツ全土から裕福な人々が訪れ、常にほぼ満員の状態である。大都市から遠く離れているので、ビジネスのために会社の金で泊まる社用族はおらず、宿泊客のほとんどは、自分のお金でレジャーを楽しむ人々である。正面玄関の前には、ポルシェ、ベンツ、ジャガー、BMWなどの高級車がずらりと並ぶ。
ギリシャ時代の神殿のような「クーアハウス(療養館)」の前のテラスで、人々が陽光を浴びながら、豪華な朝食をとっている。焼きたての香ばしい自家製パン、絞りたてのオレンジジュース、十種類を超えるハムやチーズ・・・・。客室のドアは金庫の扉のように分厚く、重い。絨毯は、足が埋まるほどの厚さである。この五つ星ホテルの観光シーズンの宿泊料金は、最も安いシングルルームでも一泊二百二十ユーロ(約三万八百円)。日本の高級ホテルや旅館に比べると安いが、所得が西側に比べて低い、ほとんどの旧東ドイツの市民には、手の届かぬ金額である。
車道を隔てた歩道から、古びたジャンパーを着た、初老の旧東ドイツ人が、ホテルをじっと眺めている。一時このホテルは、宿泊客ではない地元住民が、敷地の中の庭園を散策するのを禁じようとして、地元の地方自治体から批判されたことがある。(現在では誰でも敷地内を散策できる)
メクレンブルグ・フォアポンメルン州は、今なお失業率が二十%を超え、旧東ドイツでも最も貧しい州だ。その真ん中に、富裕階級だけが泊まれる白亜の殿堂がそびえたち、着飾った男女がワイングラスを傾ける。ドイツ統一が「資本主義の勝利」だったことを、象徴する光景である。
 日本でもフリーターやニートが年々増え、所得格差の拡大が目立っている。その一方で、銀行は資産が一億円を超える市民のために資産運用セミナーを催し、客の獲得に必死である。一億総中流といわれた時代はとうに過ぎ、わが国でもドイツ同様、中間層が消滅しつつあるのだ。持つ者と持たざる者の格差を際立たせるハイリゲン・ダムの光景は、他人事ではない。

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