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2020年06月07日16:25

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Charlston

チャールストンの奴隷市場(下)

 アフリカで拉致された黒人たちは、長期間の航海と船内での劣悪な衛生状態のために衰弱していた。彼らはチャールストンに着くと、体力を回復させるために休息と運動の機会を与えられた。奴隷たちは奴隷商人と農場主たちに巨額の富をもたらした。
 この町には、19世紀後半の奴隷競売所「ライアンの市場」の建物がある。裏には4階建ての留置場があり、奴隷たちはここに拘束された。奴隷商人たちは、年配の黒人の白髪を隠すために髪の毛を黒く染めた。また奴隷たちは、肌につやを持たせて健康に見えるように、身体に油を塗られた。奴隷が高く売れるようにするためだ。
 南部では、奴隷たちは人間ではなく商品だった。ある広告には「病気にかかっていない、元気な黒人250人が入荷しました」と書かれている。
 1860年の男の奴隷の値段は1人あたり1500〜1600ドルだった。現在の価格で3万6000〜3万8000ドル(396〜418万円・1ドル=110円で計算)に相当する。
 奴隷の家族たちはしばしば競売所で別々の農園主に売られ、生き別れとなった。奴隷たちは家畜のように鉄の首枷や足枷を付けられた。彼らは農園から脱走を図ると、見せしめのために厳しい刑罰を受けた。ライアンの市場跡は1938年以来、奴隷制度の悲惨さを市民に伝えるための博物館になっている。奴隷を罰するために使われた革の鞭が展示されている。苦痛を増すために、鞭には無数の金属のネジが埋め込まれていた。
 当時に比べると大幅に改善したものの、米国社会での白人と黒人の間の格差は今も残っている。その意味で、奴隷制度の傷痕は今も完全に癒えてはいない。
 ライアンの市場は、サウスカロライナ州に残る唯一の奴隷競売所跡である。奴隷制度の実態を伝える貴重な歴史遺産だ。だがチャールストン市役所がこの建物を購入して管理し始めたのは、1990年代になってからだ。建物は老朽化が進んでおり、私が訪れた時には屋根の雨漏りがひどかった。床には、屋根からの雨水をためるバケツが3個置かれていた。チャールストンで働くある白人は、この博物館があることすら知らなかった。
 米国人によるアフリカ人の拉致と奴隷化は、歴史上最悪の犯罪の一つだ。米国の様々な矛盾の根源でもある奴隷問題については、今以上に啓蒙活動を行うべきだ。社会全体でこの問題と批判的に対決するために、連邦政府や市役所はこのような博物館のための予算を増やすべきだと思う。





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