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2019年11月13日04:50

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1989

東欧革命から30年

 1989年は、世界史の中で特筆するべき年だ。この年、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア(当時)、ブルガリア、ルーマニアなどで立て続けに共産主義支配に対する市民の抗議行動が始まった。この結果多くの国で共産主義政権が崩壊し、民主化への過程が始まった。
 革命は東ドイツにも飛び火して、同年11月9日に東西ベルリンを分割していた壁を崩壊させ、翌年のドイツ統一への道を開いた。第二次世界大戦後、ソ連の領土に強制的に併合されていたバルト三国も、独立を勝ち取った。1991年にはソ連自体も解体された。
 つまりこの民主革命は、東欧諸国を第二次世界大戦終結以来続いていたソ連による抑圧から解放した。さらに第二次世界大戦中に米英ソの首脳がヤルタ・ポツダム両会談(ともに1945年)を通じて築いた、欧州の東西分割体制に終止符を打った年でもある。
 東欧革命は成功した理由の一つは、ソ連の最高指導者がミハイル・ゴルバチョフという改革者だったことである。彼はいわゆる「新思考外交」に基づいて、東欧諸国への「不介入主義」を表明した。それどころかゴルバチョフは、東欧諸国の政府にも体制改革を求め、一党支配に慣れ切った指導者たちを当惑させた。このことは東欧の改革勢力を勇気づけた。
 東欧諸国は、21世紀に欧州連合(EU)や、米国を盟主とする軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)に次々に加盟した。彼らは、半世紀近いソ連による支配を経験したことから、将来ロシアが再び領土拡大などの野望を抱いた時に身を守るためには、西側の国際機関に属することが不可欠だと考えたのだ。これは鉄のカーテンの向こう側に強制的に閉じ込められていた東欧諸国の、「欧州への帰還」だった。東欧諸国をEUやNATOに受け入れた西欧諸国は、「半世紀にわたり続いていた欧州の分断が終わった」と冷戦勝利を祝った。
 だが歴史の振り子は真ん中では止まらず、反対側に大きく振れる。今では、当時民主化をめざしたはずの東欧諸国の多くで右派ポピュリスト政党が権力の座に就いた。たとえばポーランドやハンガリー政府は、民主主義の根幹である司法の独立や報道の自由を制限しており、EUや西欧諸国と鋭く対立している。東欧諸国の「造反」は、1990年代に西欧諸国が全く想定していない事態だった。つまり鉄のカーテンによる東西分割は終わったが、政治思想と価値観の違いをめぐる西欧・東欧間の分断は今なお続いているのだ。



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