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2019年08月22日05:27

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Willi Brandt

2006年に発表した文章ですが、今日でも通用します。
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ドイツの東隣にあるポーランドは、最も大きな被害を受けた国の一つである。ナチスは1939年のポーランド侵攻で、第二次世界大戦の火蓋を切り、ソ連とともに同国を東西に分割し、地図の上から消した。当時のポーランド国民3600万人の内、約17%にあたる600万人が死亡し、ユダヤ人の85%が殺害されている。知識階級、富裕層に属するポーランド人は強制収容所に送られた。
一方、1945年に米英ソの連合国が、ヤルタ会談、ポツダム会談でポーランドの西部国境を、オーデル・ナイセ川に変更することを決定し、ドイツ帝国の一部だったシレジア地方は、ポーランド領となった。この結果多数のドイツ市民が、住み慣れた土地から追放されて、財産を失ったり、逃亡の途中で死亡したりした。
このため、戦後も両国の市民の間では、憎しみの感情が強かったが、1969年に西ドイツ首相に就任したヴィリー・ブラントは、東欧諸国との間で緊張緩和をめざす「東方政策」を実行に移した。西ドイツは1970年にポーランドとの間でワルシャワ条約に調印し、武力紛争の放棄と、国境線に変更を加えないことを確認した。
1970年にブラント首相は、ワルシャワ・ゲットーの記念碑を訪れた。1944年にワルシャワのユダヤ人とポーランド人は、ナチスに対して武装蜂起を行ったが、鎮圧された。ワルシャワは、ドイツ軍の報復で、ほぼ完全に破壊された。この記念碑は、犠牲となった市民を追悼するために作られたものである。ブラント氏は、記念碑に献花した後、突然ひざまずいた。西ドイツの首相が、ユダヤ人を追悼する碑の前で膝を折った映像は、全世界をかけめぐり、謝罪の気持ちを全身で表現する「新しいドイツ人」の姿を、被害者に対して印象づけた。
私は1989年6月6日に、ボンの執務室でブラント元首相に過去との対決の意味について、インタビューした。彼の言葉には、歴史を心に刻むことを、国是とするドイツ政府の態度が、はっきりと表われている。
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熊谷:碑の前でひざまずいた時に、何を考えていましたか。
ブラント:私は、最初からひざまずこうと予定していたわけではありません。記念碑に向かう時に、「単に花輪を捧げるだけでは、形式的すぎる。何か他に良い表現方法はないものか」と考えをめぐらせていました。
そして碑の前に立った時にこう思いました。「私は、ドイツ人が何百万人ものユダヤ人、ポーランド人を殺した惨劇に直接は加わらなかった。しかし惨劇を引き起こしたドイツ人のために、自分も責任の一端を負うべきだ」。私はこの気持ちを、ひざまずくことで表現したのです。

熊谷:「過去」と対決することはなぜ重要なのですか。
ブラント:2つの理由があります。第1の理由は、ナチス時代の恐るべき暴力支配について、「なぜこのようなことが起きたのか」、「悲惨な事態が、将来繰り返されるのを防ぐには、どうすれば良いのか」を、若い人々に説明することです。若者たちは、歴史と無関係ではありません。彼らも、歴史の大きな流れの中に生きているのです。従って、過去に起きたことが、気分を重くするようなものであっても、それを伝えることは重要なのです。
第2の理由は、ドイツが周辺諸国に大きな被害をもたらしたことです。従って、今後のドイツの政策が、国益だけでなく、道徳をも重視することを、はっきり示す必要があったのです。これは人間関係についても言えることですが、自分のことばかり考えずに、他の国のことも考えるという姿勢を、周辺諸国に対して示していくということです。

熊谷:過去と対決する努力は、永遠に続くのですか。
ブラント: 私は、自国の歴史について、批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に、深い信頼関係を築くことができると思います。たとえばドイツとフランスの関係は、対立と戦争の歴史でした。しかし今や両国の関係は、若者たちが、「ドイツとフランスの間で戦争があったなんて、信じられない」と考えるほどの状態に達しています。
同時に私は、過去の重荷を、必要以上に若い世代に背負わせることには反対です。ドイツは、悪人に政治を任せた場合に、悲惨な事態が起きることを、心に刻む作業については、かなりの成果をあげていると思います。私自身、周辺諸国の人々が、我々に対して、過去について余りにも批判的な態度を取る場合には、こう言います。「我々の過去を批判的にしか捉えないという態度は、いつかはやめて下さい」。

熊谷:過去の問題に無関心な若者には、どう対処するべきでしょうか。
ブラント:若者たちが過去のことについて無関心になるのは、当然のことです。彼らが、前の世代の犯罪について、重荷を背負わされることを拒否するのは、ごく自然なことです。若者たちは、父親や祖父がしたことについて、責任はありません。しかし彼らは同時に、自国の歴史の流れから外へ出ることはできないということも知るべきです。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならないのです。それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためです。そしてドイツ人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなくてはならないのです。

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