mixiユーザー(id:6002189)

2019年07月16日05:15

176 view

チェルノブイリの記憶

2011年に書いた原稿です。おおこわ。
ーーーーーーーーーーー
チェルノブイリの記憶
 東日本大震災が引き金となった福島第一原発の事故について、ドイツの一部の報道機関はセンセーショナルな報道を行なった。大衆紙の見出しには「黙示録」、「世界の終わり」、「恐怖の原発」という見出しが乱舞し、放射能測定器やヨード錠を買うドイツ市民が続出した。ドイツ人が強い不安感を抱いた背景には、1986年にソ連(当時)で発生したチェルノブイリ原子力発電所の大事故があった。この時ドイツ南部は、原発から1600キロも離れていたのに、深刻な放射能汚染を体験したのである。4月12日に日本政府は、福島第一原発の事故を国際的な事故評価基準に照らして、チェルノブイリ事故と同等の「レベル7」に引き上げた。私は長年にわたり原子力をめぐる議論について取材、執筆してきたが、母国でレベル7の事故が起きるとは、とても想像ができなかった。
 1986年4月26日午前1時23分に、チェルノブイリ発電所4号炉で作業員がテストを行なっていたところ原子炉が暴走し、水蒸気爆発を起こして建屋を破壊したため、セシウムやプルトニウムなど大量の放射性物質が外部に放出された。ソ連が1986年8月に国際原子力機関に提出した報告書によると、その量は5月23日までの28日間で、約9500万キュリーに達した。発電所から半径30キロメートルの地域は立ち入り禁止とされ、5キロ離れた所にあるプリピャチという町は今なおゴーストタウンになっている。チェルノブイリ発電所の原子炉では、核反応を抑える制御材に水ではなく黒鉛が使われていた。この黒鉛が火災を起こしたために、一部の放射性物質は3000メートルの高度まで吹き上げられ、気流に乗って西ヨーロッパの広い地域を汚染したのである。
 私が住んでいるバイエルン州は、チェルノブイリの放射能によってドイツで最も深刻な被害を受けた地域である。ドイツ環境衛生研究所(GSF)によると、チェルノブイリ事故の直後に、バイエルン州の東部の森林地帯バイリッシャー・ヴァルトでは、1平方メートルあたり3万ベクレル、ミュンヘン市内でも1万9000ベクレルのセシウム137が一時的に検出された。ドナウ川南部地域では、1平方メートルあたり最高10万ベクレルのセシウム137で汚染された場所が見つかったこともある。
 ドイツ環境衛生研究所(GSF)によると、1986年のチェルノブイリ原発事故の直後に、バイエルン州の森林地帯では、1平方メートルあたり最高10万ベクレルものセシウム137が検出されたことがある。ちなみに当時ドイツ北部で観測されたセシウム137は、4000ベクレル。なぜこれほど大きな差が出たのだろうか。当時放射性物質を含んだ空気がドイツ南部の上空を通過する時に、運悪く雨が降った。このためバイエルン州には特に多量の放射性物質が降下し、北部よりも放射能汚染が深刻になったのである。
 ちなみに1986年までに世界各地で行なわれた地上核実験の影響で、ドイツで観測されていたセシウム137の量は1平方メートルあたり4000ベクレル。この数字と比べれば、チェルノブイリ事故による土壌汚染がいかに深刻だったかがわかるだろう。
 地上に降ったセシウム137は、ドイツの森でキノコや野いちごを汚染し、草や木の実を食べた鹿や猪などを汚染した。ドイツでは、森で摘んだキノコを自宅で調理して食べる人が少なくない。また、鹿など野生動物の肉料理を食べるのが好きな市民も多い。
 だが事故の直後西ヨーロッパの人々は、自分たちの国土や食料が汚染されていることにすぐには気づかなかった。ソ連政府が当初事故に関する情報を、外国政府に十分に伝えなかったからである。初めの内、フィンランドなどのスカンジナビア諸国で放射線量が上昇していることがマスコミによって伝えられたが、西ドイツ政府が初めて国民に注意をよびかけたのは、事故から9日も経った5月5日だった。それまでは政府の発表がなかったために情報が混乱し、市民も「子どもを砂場で遊ばせない方がよい」とか「森のキノコを採って食べるべきではない」という噂や新聞報道に振り回された。
 当時ミュンヘンに住んでいた私の友人Wさんは、「まさか1000キロ以上も離れた所からの放射能で、バイエルン州の食物が汚染されるとは思いませんでした。かつて経験したことがない事態であり、当初は情報も不足したので非常に不安でした」と語る。
ドイツ市民は、1986年のチェルノブイリ原発事故が起きてから最初の1週間は、放射能について連邦政府から全く警告を受けなかった。政府が「妊婦や子どもはなるべく外に出ないようにすること。野菜は水でよく洗ってから食べるように。牛乳1リットルあたりの放射性ヨウ素の量は500ベクレルを超えないようにすること」などの警告を出したは、事故から9日も経ってからのことである。少なくとも放射能の影響を受けやすい子どもたちを守るための措置は、もっと早く実施するべきだった。ドイツ政府の原発事故に関する広報体制も、当時うまく機能していなかったようだ。
 しかし中には、秘かに情報をキャッチして子どもを外国へ避難させるドイツ人もいた。Xさんは当時ある大手兵器メーカーで働いていた。軍需産業は日頃からドイツの諜報機関と密接に連絡を取りあっている。Xさんは、諜報機関で働く知人から「チェルノブイリ原発からの放射能がドイツにも降下している」と聞かされて、政府の正式発表前に子どもと妻を南イタリアへ「疎開」させている。
 連邦放射線防護局(BFS)によると、当時ミュンヘンでは、ほうれん草から1キログラムあたり2万ベクレルのヨウ素131、7000ベクレルのセシウム137が見つかった。これは現在日本の厚生労働省がヨウ素について定めている暫定規制値の10倍、セシウムの規制値の40倍である。
 バイエルン州の豊かな牧草地にも、チェルノブイリからの放射性物質が降り注いだが、放射能には味も匂いもないので、牛たちは牧草を食べ続けた。このようにしてバイエルンの牛乳が放射能で汚染されたのである。BFSの調べでは、ヨウ素131の牛乳1リットルあたりの濃度が1000ベクレルに達したことがある。日本のヨウ素に関する規制値の3・3倍である。ある大手乳製品メーカーは、チェルノブイリ事故後に製造した粉ミルクがセシウムで汚染されていたことに気づき、アフリカに輸出しようとしたが、市民団体の抗議デモで阻止されて、粉ミルクの輸送列車が立ち往生するという騒ぎも起きた。この粉ミルクに含まれていたセシウムは1キロあたり4600ベクレル。日本の規制値の23倍に相当する。 
1986年にソ連のチェルノブイリ原発から大気中に放出された放射性物質は、1600キロメートルも離れたドイツ南部の土壌を汚染した。この時に地上に降った核種の内、セシウム137の半減期は30年。つまりこの物質は30年にわたって放射線を出し続けるのだ。ミュンヘンの連邦放射線防護局(BFS)によると、事故から19年経った2006年の時点でも、森林地帯のキノコから1キログラムあたり1000ベクレルのセシウム137が検出されている。この値は、日本の規制値の2倍にあたる。森の草や木の実を食べる動物にも、セシウムが長期間にわたって蓄積される。
 BFSによると、2005年にドイツ全国で行なった調査の結果、鹿肉のセシウム137の量は、1キログラムあたり平均257ベクレルだった。しかし野生の猪ではセシウム137の蓄積量が高くなっており、最高値は1キログラムあたり3290ベクレルだった。事故から18年も経っているのに、日本の規制値の6倍を上回るセシウムが残っているというのは驚きである。中には野生の猪の肉に含まれていたセシウムの値が1キログラムあたり6万5000ベクレルに達するという、異常な例も記録されている。
 キノコや野生動物の肉を除けば、今日のバイエルン州の生鮮食料品のセシウム137の量は、1キログラムあたり1ベクレルを下回っている。このためBFSは、「バイエルン州の野菜や牛乳を摂取することは、健康上問題はない」としている。
 さらにBFSによると、「セシウム137の1キログラムあたりの値が4000ベクレルであるキノコを200グラム食べたとしても、被爆量は0・01ミリシーベルト。つまり1年間に浴びても差し支えないとされる放射線量の100分の1である」として、ドイツ市民に対しては、過度に神経質になることを戒めている。ただし体内被曝をできるだけ少なくしたい人に対しては、バイエルン州東部の森林地帯などで採れたキノコや野いちご、野生動物の肉を食べないように勧めている。 
 1986年4月に起きたソ連のチェルノブイリ原発の事故では、大量に放射性物質が放出されたため、ドイツやスウェーデンなど欧州の広い範囲の地域で、野菜やきのこ、牛乳や鹿などの野生動物がセシウム137などによって汚染された。
 このため当時欧州共同体(EC)と呼ばれていた欧州連合(EU)は、1986年5月に食品の放射能汚染に関する規制値を設定した。「チェルノブイリ指令」と呼ばれるこの指令は、チェルノブイリ事故による放射能で土壌や農作物が汚染された、ウクライナやロシアなどからの食品に適用されるもの。たとえば、牛乳や乳幼児向けの食品では、セシウム137と134の値は1キログラムあたり370ベクレルを超えてはならない。その他の食品の規制値は1キログラムあたり600ベクレルに設定されている。「チェルノブイリ指令」は、EU加盟国の国内法として制定された。
 翌年、EU加盟諸国はもう一つの規制値について合意した。「欧州原子力共同体(EURATOM)指令」と呼ばれるこの指令は、西欧でチェルノブイリ事故のような大事故が発生した場合に備えたもの。たとえば牛乳と乳製品のセシウム含有量の規制値は1キログラムあたり1000ベクレルで、「チェルノブイリ指令」の2・7倍。その他の食品のセシウム含有量の規制値は1250ベクレルで、「チェルノブイリ指令」の2・1倍である。
 なぜ、「EURATOM指令」の規制値は、「チェルノブイリ指令」よりも高くなっているのだろうか。
 各国政府は、規制値を低く設定しすぎると、西欧で食料品が不足する危険があると考えた。また「EURATOM指令」は西欧での原発事故の影響がチェルノブイリほど深刻にならないという前提の下に、食料汚染は短期間しか続かないと想定した。このため、「EURATOM指令」の規制値は、「チェルノブイリ指令」の規制値よりも緩くなっているのだ。
 西欧ではチェルノブイリ事故のような大規模な原発事故が一度も起きなかったので、「EURATOM指令」は合意されたもののこれまで適用されず、各国の国内法としては制定されなかった。だが今年3月11日に福島第一原発で事故が起きた時、EUは日本から輸入される食品について、引き出しの中にしまわれていたこの規制値を引っ張り出してきたのである。
今年3月11日に東日本大震災の影響で福島第一原発で炉心溶融事故が起き、放射性物質が環境に放出された。それから約2週間経った3月26日に、欧州委員会は日本からの食品が放射能で汚染されているかどうかについて、検査体制を強化した。この時に施行された規制値は、チェルノブイリ事故の翌年の1987年に施行された、「欧州原子力共同体(EURATOM)指令」に基づく。この指令は、西欧でチェルノブイリ事故のような大事故が発生した場合に備えたもので、牛乳と乳製品のセシウム含有量の規制値は1キログラムあたり1000ベクレル未満と定めていた。
 しかしこの規制値を見たドイツの消費者団体の関係者たちは、首をかしげた。EUの規制値は、日本の労働厚生省が使っていた暫定規制値を上回っていたからである。労働厚生省が3月17日に発表した指標によると、セシウムの食肉や野菜の暫定規制値は、1キログラムあたり500ベクレル。これはEUの規制値の半分以下で、はるかに厳しい。牛乳に至っては200ベクレルで、EUの5分の1である。同じ放射性物質で汚染された食品について、日本とEUの間で異なる規制値があるというのは、不自然だ。
 また日本政府がプルトニウムについて規制値を定めていたのに対し、EUの指令はプルトニウムを考慮に入れていなかった。つまりEU側は、日本政府が3月17日に発表した規制値を考慮せずに、24年前に合意された規制値をそのまま施行させたのである。インターネットを見れば、日本の規制値はすぐにわかるのに、欧州委員会の担当者はそうした努力さえ怠ったのだろうか。
 このためドイツの環境政党・緑の党は、「EUの指令は、日本政府の厳しい規制値を配慮していない」と批判。ドイツ環境省も、「2つの規制値があるのは、市民にとってわかりにくい」として、EUに対して規制値を日本政府の暫定規制値に合わせるよう求めた。
 こうした批判を受けて、欧州委員会は4月8日に規制値を、日本の数字と同じ水準に引き下げた。わずか2週間足らずで、EUは規制値を訂正せざるを得なかったのである。このエピソードは、震災後のEUの対応の混乱ぶりを物語っている。本稿を書いている4月30日現在では、EUに輸入された日本食品から規制値を超える放射性物質が検出されたという報告はない。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する