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2019年05月17日03:30

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Historical compliance

2013年に書いた記事です。
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ドイツ企業と歴史コンプライアンス


 ドイツでは、「ナチス時代の過去と批判的に対決する」という態度が、政界、経済界、言論界の主流だ。このため、企業の間でも積極的な情報公開が、常識となりつつある。企業は能動的に過去と対決することで、「歴史リスク」を減らし、市民に前向きなイメージを与えようとする。2013年に過去について告白した大手食品メーカー・エトカー社の例は、その典型だ。

 ドイツ経済界には、他の国には見られない独特の「歴史リスク」がある。これは、1930年代から第二次世界大戦が終結した1945年までに、企業がナチスと協力したかどうかをめぐるリスクだ。日本ではあまり知られていないが、経済がグローバル化している今日、ヨーロッパや米国では機微な問題である。

*ドイツで最も成功した家族企業

 一つの例を挙げよう。読者の皆さんの中で、ドイツに駐在されている方、もしくはお住まいになったことがある方なら、「ドクター・エトカー」という食品メーカーの名前を聞かれたことがあるだろう。シンボル・マークは、赤い楕円の中に、女性の白いシルエットを使ったもの。このマークが付いた製品は、ドイツのどのスーパーマーケットにも置かれているし、テレビでも頻繁にコマーシャルを見かける。
 「ドクター・アウグスト・エトカー合資会社」は、1891年にビーレフェルトで創業された家族企業。アウグスト・エトカーは、ケーキやクッキーなどを焼く際に使うベーキングパウダーを開発して、成功した人物。他にもプリンの材料、ピザやビール、ワインやシャンペンなどを手広く扱う総合食品メーカーである。
 同社は経営を多角化しており、海運業や出版業、製造業にも携わっている。ドイツ南西部にあるバーデン・バーデンの高級ホテル「ブレナース・パーク・ホテル」もエトカー・グループに属している。また富裕層だけを対象にしたプライベート・バンク「ランペ銀行」も経営している。同社が資本参加している企業の数は、約400社にのぼる。
 同社の年次報告書によると、全世界の社員数は2万6000人を超え、2012年の売上高は、前年比で9・3%増えて109億4200万ユーロ(1兆4224億円・1ユーロ=130円換算)にのぼる。同社は、創業者の血をひくエトカー家によって完全に所有されている。ドイツで最も成功した家族企業の一つだ。

*エトカー社の告白

 この会社は、2013年10月に大胆な情報開示を行って、注目された。自社の幹部たちが、ナチスと深い関わりを持っていたことを、自ら公表したのである。エトカー社は、ミュンヘン大学の歴史学者アンドレアス・ヴィルシング教授らに、自社の内部資料を公開して、研究を委託。調査費も支払って「ドクター・エトカーと国家社会主義」という620頁の研究書を刊行させた。ヴィルシングは3年間にわたり同社の文書を分析した結果、「エトカー社の幹部はナチス政権を全面的に支援し、そのことによって庇護を受け収益を増やした」と断定している。
 さらに同社はウエブサイトに「今回の研究によって、わが社の幹部がナチス体制を肯定し、支援したことに疑いの余地はない。彼らが当時行なった決定について、我々は今日後悔している。我が社の歴史の暗い部分を公開することで、自由で開かれた社会を実現し、全体主義に抵抗する動きに貢献したい」という声明を発表した。
 また1980年から2009年まで社長を務め、現在は同社の監査役会の会長であるアウグスト・エトカー(69歳)は、週刊新聞「ツァイト」のインタビューで初めて同社のナチスとの関わりについてインタビューに答え、「私の父は、ナチスの信奉者だった」と率直に認め、同社が戦後69年間にわたってこの事実について沈黙を守ってきたことについて、反省の念を表した。

*ナチス政権を支援

 ヴィルシング教授の研究書によると、ナチス政権とのパイプを作ったのは、1921年から1944年まで同社の社長だったリヒャルト・カセロフスキーである。彼は、エトカー社の歴代の社長の中で、ただ一人創業者エトカーの血をひかない人物である。
 創業者のアウグスト・エトカーの一人息子ルドルフ・エトカーは、第一次世界大戦中に戦死。このため、ルドルフの親友だったカセロフスキーがその遺言に基づいて未亡人と結婚し、ルドルフの息子が成人するまで社長として会社を経営したのだ。
 カセロフスキーはヒトラーの心酔者で、後に親衛隊(SS)の長官になるハインリヒ・ヒムラーとも親交があった。彼はヒムラーの紹介で、ヒトラーに会ったこともある。
 カセロフスキーは、軍にプリンやケーキの材料を納入して売上高を増やした。さらに兵士の栄養状態を改善するために、野菜や果物を乾燥させた保存食を開発するための研究を、軍や親衛隊とともに行っている。戦時中には物資が不足したが、同社はナチス政権との太いパイプのために、優先的に原材料の提供を受けられた。
 同社は1937年に、ナチスから「国家社会主義を実践する優良企業」として表彰されている。ヴィルシング教授の研究によって、カセロフスキーが、ヒムラーとともにダッハウおよびザクセンハウゼン強制収容所を見学したことも明らかになった。つまり彼はナチス体制の犯罪性を自覚しながら、第三帝国を支援し続けたのだ。
 創業者の孫であるルドルフ・アウグスト・エトカーも、義父が敷いた線路を忠実に進み、ナチスの協力者となった。彼は1939年にナチス党員になり、武装親衛隊(ヴァッフェンSS=親衛隊の戦闘部隊)の将校となった。しかし党幹部との太いパイプのために前線に送られることはなく、親衛隊の経済管理部門で食料調達業務を担当した。
 研究書を執筆したヴィルシング氏は、2013年10月19日の週刊誌「シュピーゲル」とのインタビューの中で「戦時中のエトカー社とナチスは、利益共同体だった。同社は、全体主義に盲目的に追随した企業の典型だ。エトカー家は、追放されたユダヤ人の豪邸を安く買うなど、私腹も肥やした」と厳しく批判している。彼は「エトカー社がビール業界に進出できたのも、ナチスがユダヤ人を経済界から追放して『アーリア化』を進めたためだ」と指弾する。

*戦後も沈黙し続けた

 カセロフスキーは、1944年に連合軍の空襲によって、妻と2人の娘とともに自宅で死亡。このためルドルフ・アウグストは義父の跡を継いでエトカー社の社長に就任した。彼は2007年に90歳で死亡するまで、「ナチスの犯罪については知らなかった」と主張し続け、倫理的な責任を認めなかった。家庭内でも、「その話をするのはやめよう」と言って、息子たちにナチスの過去について語ることを禁じた。
 エトカー社は1960年代にビーレフェルトに美術館を建設し、自社のコレクションを展示させたが、ルドルフ・アウグストはこの美術館を「リヒャルト・カセロフスキー館」と命名し、義父の「功績」を称えた。1998年にビーレフェルト市当局が「カセロフスキーはナチスの協力者だった」という理由で、その名前を削除すると、ルドルフ・アウグストは激怒して、美術館に貸与していた美術品を全て回収した。
 だがアウグスト・エトカーは、父親が2007年に死亡した後、タブーを破ってナチスの過去と批判的に対決することを決めたのだ。一家の中には「企業の名声に傷をつけるのか」と反対する声もあったという。

*独企業では過去との対決は常識 

 エトカー社は、戦前そして戦時中にナチスと協力して利益を得た多くの有名企業の一社にすぎない。興味深いことに、これらの企業は、1990年代以降、ナチスと協力した事実を積極的に公開している。フォルクスワーゲン、BMW,シーメンス、アリアンツなど多くの企業が、研究書やホームページによって、ナチスとの関わりについて詳しく広報活動を展開している。
 「過去の恥の部分を世間に公開するのは、企業のイメージを悪くするのではないか」という意見もあるかもしれない。
 だがドイツでは、経済のグローバル化が進む今日、こうした事実を隠すことは、企業活動にとってマイナスになると考えられている。情報開示によって、過去の失敗について反省の念を世間に対して表明することは、ドイツ企業にとって社会的責任の遂行であり、重要なリスク・マネジメントと見られている。
 ドイツの法律には歴史リスクをめぐるコンプライアンスに関する法律はなく、政府も強制はしていない。つまりこれは企業が社会的責任や倫理観に基づいて、自主的に決定する問題である。ただしドイツ企業は「歴史リスクへの対応をおろそかにすると、訴訟や製品のボイコットなどによって、経済的な悪影響を受ける危険がある」と考えている。
 ドイツでは、「ナチス時代の過去と批判的に対決する」という態度が、政府だけでなく社会のメインストリームとなっている。このため、企業の間でも積極的な情報公開が、常識となりつつある。むしろ、企業が能動的に過去と対決することは、今日のドイツ社会では市民に前向きなイメージを与えるのだ。
 一時は不快な思いをしても、勇気を出して苦い真実を公にする。こうした「正直さ」を好むのは、ドイツ人の国民性の一つだ。今後もエトカー社と同じように、過去の罪過を自らさらけ出すドイツ企業は、後を絶たないだろう。
 

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