今年は第一次世界大戦の終結から百年目にあたる。11月11日には米国、ロシア、ドイツなどの約70人の首脳、関係者がパリで行われた式典に参加した。
戦車、機関銃、戦闘機、潜水艦などの近代兵器が初めて投入されたこの戦争では、約1000万人が戦死した。ソンム、ベルダンなどの激戦地では塹壕戦が何ヶ月も続き、各国の若者たちの命が空しく消費されていった。
ドイツが1918年に降伏した理由は、民主勢力がベルリンで共和国の樹立を宣言し、ドイツ帝国が崩壊したからである。ワイマール共和国はドイツで初めて女性に選挙権を与えるなど、極めて民主的な憲法を持っていた。ところが戦勝国がベルサイユ条約に基づいて科した厳しい補償請求や深刻な不況は、ドイツ社会を右と左に分断した。
この時代の特徴は、過激化とヘイトスピーチである。最前線で「鉄の暴風」を体験して過激化した多くの元兵士たちは、「シュタールヘルム団」などの極右武闘組織に参加し、リベラルな政治家の暗殺に走った。逆に共産勢力は「スパルタクス団」などの革命組織を結成し右派と乱闘を繰り返した。当時は左右陣営で「フロント(戦線)」という言葉が流行した。
社会の混沌が深まる中で極右が憎悪の対象に選んだのがユダヤ人だった。彼らはドイツのあらゆる問題の責任をユダヤ人に押しつけた。この風潮がナチス支持者を急増させた。社会の混乱と経済困難に耐えかねた有権者は、選挙によってこの犯罪集団を権力の座に押し上げた。1933年にヒトラーが首相に就任し、ワイマール共和国の息の根を止めた。民主主義国が自分の手で民主主義を廃止した。ナチスは直ちに共産党や社民党を禁止し、ユダヤ人迫害に着手した。
つまりドイツ人は第一次世界大戦の終結からわずか15年で民主体制を崩壊させ、二度目の世界大戦へと突き進んでいった。しかも第二次世界大戦は、初めの大戦よりもさらに悲惨だった。その理由は兵士だけではなく多くの市民の命を奪ったことだ。ユダヤ人が約600万人虐殺されたほか、世界で初めて非戦闘員の頭上に核兵器が投下された。メルケルやマクロンが今年「ナショナリズムは、啓蒙された愛国主義とは別物だ」と警告したのは、多国間主義や国際機関を軽視し「自分の国さえ良ければ良いのだ」と考える指導者が増えているためである。第一次世界大戦の最大の教訓は、人類が歴史から学ぶことができないということだ。
(熊谷 徹 ミュンヘン在住)ホームページ
http://www.tkumagai.de
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