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2016年12月28日04:38

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テルアビブのバウハウス

イスラエル経済の中心地であるテルアビブ。ロスチャイルド通りは、レストランや喫茶店が立ち並び、この町で最も活気がある道の1つだ。道の真ん中に並木道があり、大木が人々を中東の強い日差しから守る傘の役割を果たしている。この通りの71番地に、壁を真っ白に塗られた6階建てのホテルがある。外壁には装飾が全くなく、シンプルな印象を与える。内部には螺旋状になった古めかしい階段がある。客室は普通のホテルよりも広々としている。居間と寝室が分かれている部屋もある。
1934年に建てられたこの建物には、20世紀初めにドイツで興ったバウハウスという建築様式が使われている。1930年代当時は、コンクリートの箱のようにシンプルな外観は極めて斬新なデザインだった。
この建物は、1885年にリトアニアで生まれたモシェ・クリーガーという医師が自宅兼医院として使っていたもの。クリーガーはベルリンやパリで医学を学んだ後、1912年にこの地域に移住した。当時イスラエルはまだ建国されておらず、この地域はパレスチナと呼ばれていた。しかし東欧ではユダヤ人差別が激しくなっていたため、多くのユダヤ人たちがこの地域に移住していた。クリーガーもその1人で、ユダヤ人国家建設をめざすシオニズム運動にも参加していた。クリーガー家は2012年に建物を全面的に改装し、モダンなホテルに作り替えた。
バウハウスとは1919年にドイツの建築家ヴァルター・グロピウスがヴァイマールで興した美術学校の名前だが、この学校を卒業した芸術家たちによる近代芸術運動もさす。この運動は、建築と工業デザインを特に重視し、世界の建築界に多大な影響を与えた。
バウハウス様式の代表的な建築としては、ヴァイマールのバウハウス大学や、デッサウのバウハウス学校の建物が挙げられる。これらの建物を今日の目から見ると、立方体の箱のような、何の変哲もないビルに見える。だが20世紀初頭には、当時の伝統的な建築手法から完全に脱却した革命的な建築様式だった。
テルアビブには、バウハウス様式の建物がいくつか残っており、そうした建物を見学させるツアーもある。イスラエルは、過去と現代が交錯する不思議な国なのだ。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)


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