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2014年12月27日20:25

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ミュンヘン・路傍の石の記憶


 私が毎週ジョギングをするミュンヘンのニュンフェンブルク公園では、ときどき道端に岩の塊が並べられているのを見かける。市民が歩く道と、芝生を区切るためだ。岩の一部は緑色の苔で覆われ、風雨にさらされて表面がザラザラになっている。

 しかしよく見ると、どの岩にも、古代ギリシャやローマの神殿建築に見られたような、無数の細い溝が刻まれている。自然の岩ではなく、人工物であることは明らかだ。道端に並んでいるどの岩にも、溝が刻まれていることを考えると、建物の一部だったのだろうか。

 私は長い間、この岩がどこから来たものか頭をひねっていたが、由来はわからなかった。ところが今年になって、ドリス・フクスベルガーという郷土史家の「ナチス支配下のニュンフェンブルク城」という本を読んでいて、この岩が連合軍によって爆破されたナチスの神殿の残骸だということを知った。

 この神殿は、現在もミュンヘン中心部にある「王の広場」の東側に、ナチスが1935年に建設した通称「栄誉神殿」である。ヒトラーは1923年にバイエルン政府に対して武装蜂起したが、この「ミュンヘン一揆」は政府軍によって制圧され、ヒトラーは一時刑務所に拘束された。しかしナチスは総選挙によって圧勝し、1933年に政権を掌握。

ナチスがミュンヘン一揆で死亡した党員を「殉教者」として祭ったのが、この栄誉神殿だった。ナチスは古代ギリシャ風の建築物を好んだ。このため当時の記録写真を見ると、栄誉神殿の柱には、ギリシャ風の細かい溝が掘り込まれているのがわかる。

 この地域は、ミュンヘンで発足したナチス党の神経中枢でもあった。「王の広場」ではナチスが大衆を動員して集会を開いた。その東側には、英仏独が、チェコスロバキアの分割に関するミュンヘン協定を締結した「総統の館」や、ナチス党の本部が置かれた「茶色の館」があった。
 ミュンヘンを1945年に占領したアメリカ軍は、ナチス支配の象徴である栄誉神殿を爆破。現在は建物の基礎だけが残っており、草木に覆われている。

 ミュンヘン市は、ナチスの建物の残骸を公園の路傍に置くことによって、かつて欧州史上最悪のテロ集団がこの国を支配したことを、人々の記憶に留めようとしているのだ。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de

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