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2019年11月20日08:45

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自分はそれにどうしてか縁がある、いつも、何らかのかたちで

自分はそれにどうしてか縁がある、いつも、何らかのかたちで。幼いころからそううっすら思っていた。思ってはいたけれど、今こういうかたちで縁がある、ということが明らかになる、すると、それ自体が、遠くなる。〈それ〉自体はない、いや、ないことはない、ないことはなくて、ものすごく流動的だということを知る。時間、経済、法律、言葉、いろいろな人の事情…そしてそれをもつものが抱えているものと、密接に関わっていることも掴める。だんだんそれの見方が分かってくる気がする、それ自体ではなく今のわたしに関係あるものが今それとどう関係し合いながら変化しているかということの見方。行動をみたり、ある軸で抽象的にみたり、何かに特化して見つづけたりする。自分の性質と照らし合わせる、どこからどう見るかという可能性が具体的になる。それをもつものにとってどういう状態が良い状態か、ということの基準は自分のなかで確定しているように思う。

左手は支える、いつも。右手はわりと好き勝手に、大きな顔で、わがままに動く。左手も右手も互いに思い合っているわけでもなく、とくに仲が良いわけでもない。同じような場所にいるのに、意識し合っていないようにも見える。理解し合っていたりし合おうとしているということもない。でも、左手と右手は互いにすごく関係がある。どちらかがいないとそれぞれはまったく違う生き方になる。左手は支えるが右手のことを支えているわけではない。補完し合っているという感じでもなく、左手は左手自身の仕事として、〈支える〉ということをひたすらしてきたし、右手は右手自身の仕事として、こまごまとした仕事をしてきた。これからもそれぞれが自分の仕事のことだけを考え、自分の仕事をしたがるだろう。わたしは…わたし自身がもつ左手と右手。どちらのこともとくに好きというわけじゃない。どこからが左手でどこからが右手か実はわかっていない。ただ、自分の体になじみきってしまって、この左手でなければ、この右手でなければ、なにか、わたしはあり得なかった存在だったということは想像がつく。

このことと〈それ〉が関係あるかどうかもよく分からないが、同じときに体感したことだった。



立岩真也『自閉症連続体の時代』(みすず書房)
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