芥川龍之介の短編の世界観は、私の恐れの感覚ととてもリンクしやすく、
トラウマを呼び覚ましてしまったと感じるほどの衝撃を覚えてしまう。
短編小説が好きだという人は、どう言った人たちなのだろうと、むしろそっちに興味を持ってしまうほどだ。
どこまでもどこまでも続く線路の上、待っても待っても温もりを感じることなく、すでに決まっているであろう結末まで、まっすぐ進む。
全てに救いなどないということを受け入れてしまいたいのに、受け入れる事は叶わず、自分という存在意義自体に持っている自身の不快感を、あらゆる形で露呈せざるを得ないことに、とてつもなく憤慨していて、悪あがきに悪あがきを重ねた結果どうしようなく虚しくなってしまった、そんな印象を持ってしまう。
退屈だ退屈だと言って自分の持っている希望から目をそらし続けるのは、希望そのものが絶望的故か。
何にそんなに絶望してしまったのか。そんな姿を晒して大衆のお慰めと化して、それが東大出のエリートの人生だとはとても思えない。
その絶望した姿は、そもそも演出であろうか。
演じることで、救われようとしたのだろうか。
誰に尋ねても、すでに誰にもわからない。
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