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2020年09月21日20:44

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がんじゃえもん㉙


がんじゃえもん ㉙


 がんじゃえもんに呼び止められ、少年は扉の前で立ち止まる。ゆっくりと振り返るそのまなざしには、誰に向けられたのだろう鬱屈した怒りとも憎しみともつかない暗い炎が揺らめいていた。少年は鋭い目付きでがんじゃえもんを睨みつけ、次に部屋の片隅に立て掛けられたベニヤ板の絵へと視線を向ける。

「ぼうずじゃねえバケモン、我が名はスサ」

 そう吐き捨てるように言うと、少年はがんじゃえもんに背を向け、絵の正面にどっかとあぐらをかいた。

(スサ?どっかで聞いたような…)

 その名前にノビタは不思議な胸騒ぎをおぼえた。いつか見た夢の中で、そんな名前の人物と出会ったような。でもはっきりとそう言い切れる確信はなかった。

「君、黒丸君だろ?隣のクラスの」

 ユーカラを抱きかかえたまま、厳しい表情を崩さずにミロが言った。スサはそっぽを向いたまま、何も答えない。

「ミロ君、彼を知ってるの?」

「うん。小学校の時、ちょっとだけクラスが一緒だったことがある。中学になってからぜんぜん学校に来なくなっちゃったけど」

 そんなウワサはノビタも耳にしたことがあった。一年の一学期に数日出席したきりで、以後全く顔を出さなくなった生徒がいるっていう話。それがなぜ今頃になって現れたんだろう?しかもよりによってちきゅうへいわサークルの教室にそれも普段着のままで。

「さてと。みんなそろったよ〜だの〜。したらば始めるけ〜」

「始めるって、何を?」

「決ってるべさ。ちきゅうへいわサークルの朝練だべ〜」

「朝練!?」

 困惑して顔を見合わすノビタとミロ。

「悪いけどがんじゃえもん、僕らそんなことやってる時間ないよ。そろそろ教室に行かなくちゃ」

「わかっとるべ〜。だからほれ、早え〜とこ座れ」

 がんじゃえもんの断固とした口調にしぶしぶノビタとミロはがんじゃえもんの傍らに安座した。

「ほれ、ユーカラもそこさ座れ」

「ぽからった」

 こくっとうなずきミロの隣にお嬢さま座りするユーカラ。濡れた頬を手で拭い、まだかすかにしゃくり上げている。

「して?スサよ〜、おめはど〜すんだ?そこで今日一日ふてくされとるのけ〜?」

 呼ばれてじろっと横目で睨むスサ。それにはまるで動じずがんじゃえもんはスサに指先でツンツンと座る場所を指し示す。

「よしと。心の準備は整ってるけ〜?」

 そう言ってがんじゃえもんは腹巻の中をまさぐり出す。

(ま・まさか…)

 ノビタの脳裏に嫌な予感が走る。予感は的中し、腹巻から出てきたのは親指ほどの太さの特大のジョイントだった。

「ちょ・ちょ・ちょっと待ってよ!そんなもの吸わせていつかみたいに、気がついたら裸でそこいら中走り回ってたなんていうことないだろうね?」

「大丈夫、心配すな〜。今回はそんただ展開にゃ〜ならんべ〜。ただよ〜一日でも早くバンドが上達するために時間を有効に使いて〜っつ〜ことだべ〜」

「バンド?!練習すんの?今から?ばかなこと言わないでよ!授業はどうすんの?」

 付き合っていられないとばかりにノビタは声を荒げる。ただただ困惑し二人を見守るミロ。泣く気も失せ、ちんぷんかんぷんといった面持ちのユーカラ。

「くっくっく、あっはっは〜」

 それまで全く無関心にふるまっていたスサが突然大声で笑い出した。

「へっへっへ〜。授業?それが何だってんだよ〜。アンタ、そんなもんが大切なのかい?愛と喜びを分ち合うなんてデカイこと言うわりには口ほどにもないね〜。ま〜はなから期待なんかしてなかったけど…」

 そう言ってスサは窓に目を向けぐるっとゆっくり首を回した。

(くそ〜!)

 スサの言い草はまるっきり情況を理解していない屁理屈でしかなかったが、それでも無性に腹が立つ。どうしてこんな奴がバンドメンバーなんだ!ノビタは叫びたい気持ちをぐっと堪えた。

「うんにゃ〜授業は大事だべ〜」 

 不穏な空気を察して、がんじゃえもんが助け舟を出す。

「サボったりしてみれ〜。それこそ生活指導の羽沢の思うツボ。大喜びでちきゅうへいわサークルは解散!って言うに決っとるべ〜。だからよ〜、おめらにゃ〜しっかり授業に出席してもらう。せっかくこれからでっけ〜花咲かそ〜っつ〜時に、ツケ入るスキを与えたりしちゃ〜もったいね〜かんな〜」

「へっ!」

 がんじゃえもんに諭され、スサは再び不満げにそっぽを向く。

「まんず、つまらん言い争いはあとにしれ〜。っつ〜か、これより朝練開始っすぞ〜!」

 そう言うが早いかがんじゃえもんは音高く柏手を八度打ち鳴らしジョイントをくわえると100円ライターで火を点けた。そのまま胸一杯煙を吸い込むと、時計と逆回りでノビタへ渡す。判然としない思いのままノビタも一服吸ってミロへ。ミロも同様に一服するが、ユーカラに回してよいものかどうか思いあぐねる。がんじゃえもんは肺に煙を溜めたまま、無言でミロに回すよう促す。

「かむいくる?」

 ユーカラの問いにミロがうなずく。果して、この二人の会話は成立してるんだろうか?

「らいらいけ〜」

 ふわふわと手の平を宙に舞わせ、ユーカラは両手でジョイントを受け取り見よう見まねで煙を吸う。一同が見守る中、ユーカラはコホッと小さく咳込んでニッコリと笑った。ジョイントをスサに差し出すが、相変わらずそっぽを向いたままだ。そっけない態度でいながら、好奇心がそこはかと見え隠れしている。

「パープルヘイズだべ〜」

 がんじゃえもんがささやきかける。

「ジミの魂に触れて〜んだべ?したらばちっとは素直になれ〜」

 そう言われてスサは「ん?今何か言った?聞いてなかったヨ」ってな態度を装いながら、ほんの少し気まずそうにジョイントを受け取った。一同が見守る中、そんなもの大騒ぎするほどのことじゃないさといった感じで、一気に吸い込む。途端に思いきりむせる。ゲホゲホと発作に体を揺らしながら、どうにかこうにかがんじゃえもんに手渡す。一同の手から手へとジョイントはもう二巡ほど回って灰となった。

「さてと…。したらばあっちさ移るけ〜」

 がんじゃえもんは立ち上り、部屋の後ろの壁に掛けられた大鏡のほうへと歩いてゆく。鏡の正面に向き合うと、そのまますっと鏡面に吸い込まれていった。

「えっ!!」

 驚きのあまり顔を見合せるノビタとミロ。

「ど〜した。早く来〜」

 鏡の中からにゅっと手が伸びて手招きする。

「うれしぱ!ちゃぴぃ」

 ユーカラは無邪気に喜び、跳ねるように鏡に入ってゆく。戸惑いかつ苦笑しながら二人もあとに続く。一人取り残されたスサ。がんじゃえもんの手が鏡面からするすると伸びてがっちりとスサの腕をつかみ強引に引っ張り込む。



 鏡面に突入した途端、鮮烈な壮快感が全身を貫いた。まるで炎天下に10mの高所からプールへダイビングしたみたいな。重力と遊離した体はまぶしさの中でゆったりとたゆたう。最高の心地良さ、いつまでもこうしていたい。

「それはいかんべ〜。目ぇ醒ませ〜」

 がんじゃえもんにせかされ、いやいやながら目を開ける。その先には雲一つない青空が広がっていた。横を見ると匂い立つような草いきれの中に色とりどりの花々が咲き乱れている。鮮やかな羽色の蝶が飛び交い方々から小鳥のさえずりが聞こえる。ノビタはゆっくりと上体を起こした。数m離れた場所でミロが同じように上体を起こし、ノビタに気づき手を振る。遠くのほうではユーカラが嬉しさではち切れんばかりに駆け回っている。ノビタは立ち上る。あたり一面、膝丈ほどの草むらだ。そこここで鹿が草を食んでいる。木陰では熊がのんびり昼寝をしている。「げっ!熊!」と驚くのも的外れなぐらいの温厚そうな顔付きで、ぷく〜っと鼻提灯をふくらませている。数歩先には学校のプールほどの大きさの池があり、誰かが釣り糸を垂れている。誰だろう?人物は裸だった。しかも体半分には皮膚がなく内臓が露出している。

(げっ!人体解剖模型?!)

 ノビタの視線に気付き、人体解剖模型が脳ミソを帽子のように片手でつまんで上に上げ、こくりと会釈して再び釣りに専念する。

(ははは…)

 冷や汗混じりでノビタも会釈を返す。そういえば…。昼寝をしている熊の腹部には胸元から一直線に縫い目が刻まれている。(剥製?!)そんで、もしかしてここは…理科教材室㏌ミラーってこと?

「驚くのは後回しにしれ〜。まずはこっちさ来〜」

 池のほとりでがんじゃえもんが呼びかける。側に行き池の中を覗くと、数分前と同じ車座の状態で放心している四人の姿があった。

「分身をあのままにしといちゃいかんべ〜。教室さ移動させれ〜」

「移動させるって、どうやって?」

「池さ飛び込んで、一旦あっちの体さ戻るんだべ〜」

「でも…そしたら、どうやってここに戻ってくるの?」

「戻るのは簡単だべ〜。戻りて〜って思えばいいだけだかんな〜。案ずるより産むが安いべ。ほれ、とっとと行け〜」

 そう言ってがんじゃえもんはノビタとミロの背中をぽんと押す。

「うわ〜!」

 バランスを崩し二人は池の中へ。と思う間もなく、気が付けば部屋のまん中で他のみんなと一緒に座っていた。二人に続き、ほどなくユーカラも戻ってくると同時に忘れ.ていた体の重みが蘇る。立ち上るのが妙に辛い。体がこんなに重たいものだったなんて。

 のろのろと、まるで最近歩みを憶えたばかりの赤ん坊のように危うい足取りで教室へ向う。後ろを見ればミロもまた蒼ざめた顔色でしんどそうに付いて来る。鏡の世界で見せた生き生きとした表情も今はない。

「ぴりかの?」

 心配してユーカラが声をかける。ミロは小さく頷き弱弱しい笑みを滲ませた



「からぶて〜」

 教室の前でユーカラと別れた。ユーカラはそのまま廊下をまっすぐ進んでゆく。

「あの子、どこのクラスなんだろう?」

「あすなろ学級さ」

 壁にもたれながらミロが答える。

「えっ、そうなの…」

 少し驚いたけどなるほどという気もする。あすなろ学級とは軽度の知的障害を持つ生徒のためのクラスだ。まるで日本語とは思えないちんぷんかんぷんの言葉使いのユーカラが、言語能力に障害があると判断されるのはごく当然のことなのかもしれない。それでもなにか判然としない気持ちも同時にあった。たった数時間一緒に過ごしただけではあったが、彼女の中には日本語を話せないことに対する苛立ちや絶望といったものが微塵も感じられなかった。むしろ彼女は自ら意志して日本語というツールを選択しないのでは?そんなふうにノビタには思えるのだった。



 教室へ入ると、すぐさまジャイヤンが見つけて声をかけてきた。

「よ〜ノビタ!昨日はなかなか面白かったぜ!またなんかあったら手伝ってやるからな」

 そう言うとブ厚い手の平で背中をばしっとたたく。(いて!)と内心思いながら、ノビタは笑顔で答えた。

「ありがとう!ジャイヤンのおかげで部室の片付けも済んだし、今日からはさっそくちきゅうへいわサークルの活動を開始しようと思ってるんだ。そうは言っても、どんなサークルになるのか今もって予測できないんだけど。よかったらジャイヤンも遊びに来てよね」

「おう、わかった。楽しみにしてるぜ!」

 ジャイヤンはいつになく晴れやかな表情で自席へと戻っていった。

「よーノビタ、お前、浅見静香と仲いいんだろ?」

 次にやって来たのはトリ巻だった。

「瀬戸清美のことちょっと聞いてみてくんね〜かな〜」

 ヘッドロックにようにノビタの首に腕を回して、トリ巻はひっそり声で言った。

「誰?瀬戸清美って」

「ばか決ってんだろ。昨日来てたテニス部の中で一番カワイイ子だよ」

「あ〜そういうことか」

 ようやくノビタも状況が飲み込めた。

「でも一体何を聞くんだい?」

 そう言われてトリ巻はいっそう強く腕を巻きつけ、いっそうひっそりと言った。

「決ってんだろ、今付き合ってる奴はいるのか?とか、好みのタイプはどんなだとか…」

「なんだ〜それくらい自分で聞いたらいいじゃん」

「ばか言うな!そんなことできるわけね〜だろ!」

「どうして?やってみたらいいじゃん。君って意外とモテるタイプかもしんないし…」

「ほ・本当かよ?」

 言われて急に携帯の鏡を覗いて髪を撫でつけだすトリ巻。

「自信を持ちなよ。また雨降りの時、静香ちゃんに後輩連れてちきゅうへいわサークルに遊びに来てって頼んでみるからさ〜、その時自分で聞いてみたら?」

「ほ・本当だな?ちゃんと前もって教えろよ!」

 トリ巻は髪を撫でつけきっと目力を溜めて親指をグーっと突き立てると、ようやく意気揚々と自席へ戻っていった。

(やれやれ、面倒なこと請負っちゃったな〜)

 ふ〜っと溜め息をつくものの、かつてのイジメっ子達と友達のように付き合えていることに、ちょっぴり嬉しい気もするノビタだった。

 ほどなく授業のチャイムが鳴り席についた途端、眠気が襲い意識が遠のいてゆく。



 気がつけば再び鏡の世界にいた。軽快な8ビートのリズムが耳に飛び込んでくる。上体を起すと、小高い丘のまん中にドラムセットが置かれ、超ノリノリでがんじゃえもんが打ち鳴らしていた。スタッスタッと青空を突っ切って抜けていくようなハイハット。波打つようなスネア。腹の底にズシンとのめり込むようなバスドラム。大地が揺れ動いているかと思うような凄まじい迫力でありながら少しも耳障りな気がしない、まるで心に直接手が触れ揉みほぐされているような心地良さ。それはドラミングのうまさもさることながら、この世界自体が一つの統合的な生命として音を愛で感応する心を持ち、喜びとして増幅し表現しようとする意志を持っているからではないか。そんなふうにさえ思えるのだった。

「戻ったけ〜ノビタ。したらばぼちぼち始めるべ〜」

 額の汗を拭いながら満足げな面持ちでがんじゃえもんが呼びかける。見ると、丘のいたる所にギターやらベースやらピアノやらが散らばっている。その中から一本のエレキギターを手に取り、試しに鳴らしてみる。すると、まるで空のまん中にスピーカーが据えつけられているような、否、空全体がスピーカーと化したかのような音のシャワーが降り注いだ。あまりの迫力に身震いするノビタ。この魔法を操っているのが自分の指だなんて、にわかには信じ難い思いだ。

「ねえがんじゃえもん。歌ってみてもいいかな?」

 がんじゃえもんは大きく頷き傍らをドラムスティックで指し示す。見ると花々が咲き乱れる中にマイクが一本たたずんでいる。引き上げるとするするとマイクスタンドが伸びちょうど手ごろな高さになった。

「あ〜あ〜。ただ今マイクのテスト中」

 空一面、いや、宇宙一面に声が響き渡る。

「な・なんかすごい緊張するな〜」

「な〜に。聞いとるのはおらだだけだべ〜。まんず気楽にやってみれ〜」

「それじゃ…今朝起きた時にできた歌を歌ってみるよ」

 深呼吸を一つして、ノビタは歌い出す。

♪僕が思い目を開け見つめた時に〜♪

 声を聞きつけ、ミロがユーカラが草むらから体を起す。そして微笑み、耳を澄ます。花々がゆっくりと花弁を回し、ノビタの方に花びらを向ける。あちこち飛び回っていた小鳥達が木々の枝に並んで止まる。草を食んでいた鹿達が首を上げ、膝を折って体を休める。熊がリズムに合せて首を振る。この世界のありとあらゆるものがノビタを受け入れ愛のまなざしを注いでいる。

♪ああこのままどこまでもこの思い追いかけてゆきたい

 行き交う人全てに伝えたいこのグッドバイブレーションU〜U♪

 歌が終り、ノビタは静かに頭を下げる。ミロがユーカラが喜びの声を上げ拍手を送る。風がそよぎ花々が揺れ、かぐわしい香りが一面に広がる。小鳥達は舞い鹿は跳ね踊る。釣糸を垂れていた人体解剖模型が脳ミソをつまみ上げ会釈する。

 ノビタにとって初めてのソロパフォーマンスだった。全身に汗をかき、膝が震えてる。だけど…だけどこんなに嬉しくて、ドキドキして何がなんだか涙があふれて…。

「ノビタ君!いい歌だね!ちきゅうへいわサークルのテーマソングにしよう!」

 ミロが駆け寄ってくる。いつもとうって変って元気いっぱいな感じだ。

「ウタウタウチキュウヨロコブ!」

 ユーカラが駆け寄ってくる。なんだかいつもよりちょっぴり背が高くて前髪が上げられ大きなカワイイ瞳が現れてる。それに…言ってることがわかる! 

 と、その瞬間だった。「ズドーン」とものすごい衝撃音とイナズマが炸裂した。たちまち空の一点に黒雲が沸き起り、一気に広がってゆく。衝撃音と思われたものはよく聞くとギターの音だった。そして雲の中から…。


つづく…


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