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2019年02月19日03:37

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20190219 ガールズラブ

あるガールズラブ系の作品を最後まで視聴した。

作者は恐らく男性だと思われるのだが、男性でありながらここまで感動させられる美しい世界を描けることには畏敬の念を覚える。
でも、どんな優秀な作者さんがたとえ完全に偏見を取り払い、ご自分の持てるすべての表現力と知識と共感力と努力を総動員してもなお、本当の女性の同性愛者の現実とは違うはずだ。(永遠にそれができないからこそ表現への飽くなき渇望が沸き起こるのかもしれないけど)

同性愛を描く事で、本当の意味で「人を好きになるとはどういうことか」を考えさせてくれるのではないかと思った。
ふつうに女性として生まれ、そのことに疑問もない人が、ある日突然異性を好きになると、
恐らく「そうか、これが恋ってやつなんだ」とすぐに気づけるのでは。
僕も、思春期の頃の甘い感情なんて忘れたけれど、女性にその感情を持ってから、その感情に恋という名前を付けるまでに時間はかからなかったと思う。

しかし、作品で描かれていたのは、
自分の感情に名前を付けてしまう、意味を与えてしまうことがいかに重いことか、覚悟や責任がいることなのか。
という、ふつうなら見過ごしてしまうようなことであった。(と僕は解釈した)

嫌いだった人を好きになる、年の離れた人を好きになる、親戚を好きになる、同性を好きになるなど、
「好きになってはいけない、自分がこの人を好きになるはずがない」という思い込みと、心から沸き起こってくる感情とにギャップがあるほど、感情に名前を付けるまでに要する時間は長くなる。
葛藤し、そこから一人一人答えを導き出すプロセスは、本当に深いと思う。
そのプロセスを、その好きな人にぶつけてみて、時にすれ違いが起きる。
そのたびにこの葛藤は、開かれたり閉じられたりする。
こういう形で物語が進行していく。それが面白いのだと思った。

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