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2020年08月31日23:00

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EPIC SAGA

俺流"日本製"。
47都道府県の旅、41県目は『佐賀県』。


旅の前夜に前泊。
遊びに来たよ家
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【鳥栖市】


北九州発祥の人気うどんチェーン店『資(すけ)さんうどん』で晩御飯。初夏の期間限定メニュー「天もりごまだれうどん」。
まろやかでコクのあるごまだれに手間を惜しまず、鯖や昆布、椎茸などから丁寧にとった特製の出汁をブレンド。喉喉ごしの良いざるうどんとの相性抜群。
揚げたてサクサクの天盛りは人気の海老・イカ・ピーマン・かぼちゃに加えて、高級魚として知られるイトヨリ。繊細な白身から、ふわっと優しい甘みが口いっぱいに広がる。
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【神埼郡吉野ヶ里町】


『吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里遺跡)』花束
旧神埼町・旧三田川町・旧東脊振村の3つの町村に跨る日本最大級の遺跡。弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知る事ができ、古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっている。これらは日本の様子を記した最古の記録である「魏志倭人伝」に登場する「邪馬台国」を彷彿とさせるもので、国の特別史跡にも指定。
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映像施設やレストランがある「入口ゾーン」、「環壕集落ゾーン」、レクリエーションが楽しめる「古代の原ゾーン」、「古代の森ゾーン」の4エリアから成る。遊具で遊べる芝生広場、BBQが楽しめる野外炊事コーナーもある。
「勾玉づくり」や「火おこし」等の体験も開催されている。
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■弥生時代前期(紀元前5〜前2世紀)
吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生。やがて南側の一面には2.5ha規模の環壕集落が出現し、ムラからクニへと発展する兆しが見えてくる。
環壕跡内部からは大量の土器や石器、貝殻、獣骨とともに、青銅器鋳造に用いた鞴(ふいご)羽口や取り瓶などが出土し、この頃から青銅器鋳造が始まったと考えられる。

「南のムラ」。
弥生時代の吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域。区域を囲む壕等の施設がない事、竪穴住居数棟に対し共同の高床倉庫1棟が付くという、一般的な集落と似ている事、集落全体の中で一番南(下位)に位置している事等がこうした考え方の基になっている。
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発掘された弥生後期の竪穴住居跡を復元。炉跡やベッド状遺構等がある。
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弥生時代全期の多数の住居跡、高床倉庫群跡、かめ棺墓、弥生時代中期の王の墓と考えられる墳丘墓(ふんきゅうぼ)などが発掘されている。墳丘墓からは高度な技術を要する有柄銅剣やガラス製の管玉などが出土し、中国大陸や朝鮮半島との交流を伺わせる。
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佐賀平野東部には段丘が多く発達し、遺跡が多く立地している。
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「高床(たかくら)倉庫群」。
床を高くし、風通しをよくした倉庫。吉野ヶ里遺跡は大きさもその数も大規模なもので、当時の繁栄ぶりが伺える。
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「倉と市」。
交易品や特産品等が集まって盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていた倉庫群。レンガ等に描かれた古代中国の市の様子と似た構造をしており、また当時の交易の重要な交通手段である舟が利用できる川が近くを流れていた事、さらにはこの地域全体が大きな壕で厳重に囲まれている事等がこうした考え方の基になっている。
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■弥生時代中期(紀元前2〜紀元1世紀)
南の丘陵を一周する大きな外環壕が掘られ、推定20ha規模以上の環壕集落へと発展。内部からは多くの竪穴建物跡や穴倉跡が発掘されており、居住域と倉庫域が区別されていた。また、大量の土器や石器や船形木製品等が、竪穴建物跡等からは青銅製の耳飾りや朝鮮系無文土器も出土した。
首長を葬る墳丘墓や、たくさんの「甕棺墓列」も見られる。防御も厳重になっており、争いが激しくなってきた事が伺える。

「南内郭」。
最盛期に周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所。周囲を環壕と城柵で囲まれ、外からの侵略者を監視すると同時に吉野ヶ里集落の権威を示すシンボル的役割を持っていた建造物「物見櫓」が見つかっている事、人々が住む竪穴住居が中心である事、一部の有力者しか持つ事ができなかった鉄製品が多く見つかっている事等からこのように考えられる。
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「展示室」。
主な出土品はここで見学できる。
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■弥生時代後期(紀元1〜3世紀)
集落は北方へと規模を拡大し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、40haを超す国内最大規模の環壕集落へと発展。
環壕、城柵、物見櫓等の防御施設で堅固に守られた内部に多くの人々が集まり住み、祭壇など祭祀の場を備え、人々が集う交易の市が推定され、まさに弥生都市とも呼べるようなクニの中心集落へと発展した。
北内郭や南内郭等、内環壕によって囲まれた祭政の中枢である空間が設けられ、西方には高床倉庫群が設けられた。特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたる。

「北内郭」。
吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって最も重要な場所。田植えや稲刈りの日取りを決めたり、祭の日を決めたり、市を開く日取りを決める等、重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていた。話し合いでは決まらない時には最高司祭者に祖先の声を聞いてもらい、その声に従って決定していた。
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3世紀後半頃、吉野ヶ里遺跡全体を取り囲む環壕はほぼ埋没し、両内郭はその機能が失われた。それと前後して、南内郭付近の丘陵部には4基の前方後方墳が築かれた。吉野ヶ里丘陵の南部一帯は人々の生活する集落から、人が葬られる埋葬の地へと変化した。
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「北墳丘墓」。
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別な墓で、とても丈夫な構造になっている。中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められていた。この墓は紀元前1世紀のものだが、その後は墓としては使われず、祖先の霊が眠る場所として人々から大切にされていた。
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【鹿島市】


『祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)』。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
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伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷のひとつに数えられる。
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年間300万人の参詣者が訪れ、九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数である。
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主祭神は倉稲魂大神、大宮売大神、猿田彦大神、神令使命婦大神、萬媛命。
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衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
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鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。
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萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。
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貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて断食して入定を果たした。
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以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。
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明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。
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【嬉野市】


『嬉野温泉(うれしのおんせん)』いい気分(温泉)
日本三大美肌の湯で知られ、なめらかな肌触りの美肌の湯は浸かるだけでつるつるスベスベの肌になれる。
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嬉野温泉公衆浴場『シーボルトの湯』。
江戸時代に藩営浴場として整備され、シーボルトも利用したという歴史ある天然温泉施設。老朽化のため閉鎖されていたが、平成22年(2010年)に改装されて再開。オレンジ色のとんがり屋根が印象的な木造2階建ての大正ロマン風ゴシック建築。
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『シーボルトのあし湯』。
メインストリート沿いの湯遊広場にある無料の足湯。血液の循環を良くし、肩こりなどにも効果的。
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『豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)』。
御祭神の豊玉姫大神はワタツミの娘で、浦島太郎伝説における竜宮城の乙姫様。古来より海の神・水の神・安産の神として崇拝されている美しい女神。
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古事記によれば、豊玉姫は火遠理命(ほおりのみこと)と結ばれ、神武天皇の父神である鵜草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)をお産みになった。
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肥前蓮池藩初代藩主・鍋島直澄の祈願所となった。
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豊玉姫の遣い「なまず様」。
古来「肌の病」に効能ありとして湯治客から信仰を集め、現在も美肌を祈願する参拝客が絶えない。
また、源泉かけ流しの温泉水を引いた手水舎があり、参拝するだけで手がすべすべになるという。
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嬉野川の清流に沿って60軒余の旅館が建つ、九州でも有数の大温泉街。昭和天皇が宿泊した「和多屋別荘」や、天保元年(1830年)創業の老舗旅館「大村屋」、ミシュランガイド3つ星の「大正屋」等が有名。
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「湯宿広場」の足湯。
約1,200年の歴史を持つ伝統の名湯。九州屈指の名泉として知られ、源泉は17ヶ所で湯量も豊富。武雄温泉と並び、県を代表する温泉地。
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『宗庵 よこ長』。
昭和32年(1957年)創業。嬉野名物「温泉湯どうふ」発祥の店。人気漫画「美味しんぼ」にも掲載された人気店。店内の至る所に有名人のサインが飾ってある。
メニューは「湯どうふ定食」。厳選された豆腐から自家製造。飲用にも適している弱アルカリ泉の嬉野温泉水で煮込まれているため、豆腐はふわっと崩れる柔らかさでとろけるような舌触り。味が付いており、何も付けずに食べても美味しい。タレの醤油ポン酢は野菜、シイタケ、小エビなどの具材を食べる時に使う。ダシは最後まで飲み干せる旨さ。
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食塩と炭酸を含有したアルカリ性の湯は良質で、汲み上げ時の温度は約100度ある。
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嬉野名物の「嬉野茶」は数百年の歴史と奥深い味わいを伝承し続ける。
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その昔、神功皇后が戦の帰りに白鶴が羽を癒すのを見て発見したと伝わり、温泉で負傷兵の傷が癒えたのを見て皇后が「あな、うれし」と言ったことが「嬉野」の地名の起源と伝えられている。
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シーボルトの湯へ入浴。
嬉野温泉は日帰り温泉も楽しめる。
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館内には大浴場や貸し切り風呂、市民ギャラリーなど、観光客や市民に憩いをもたらす施設が整備されている。また、広々とした休憩室やマッサージ機などのスペースも完備されている。
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「東西遊記」や「西遊雑記」など、多くの紀行文・旅日記にも嬉野温泉のことが書かれており、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、戦後は西の別府といわれるほど歓楽温泉として名を馳せた。
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【唐津市】


『唐津城(からつじょう)』。
唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城。松浦川の右岸には「虹の松原」が広がり、満島山を中心に鶴が翼を広げたように見えることから、「舞鶴城」とも呼ばれる。
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文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の家臣・寺沢広高がこの地に封ぜられた。広高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍方につき、外様大名となった。慶長7年(1602年)より本格的な築城を行い、慶長13年(1608年)に完成。唐津藩の藩庁となった。天守は建築されなかった。
広高の子の堅高は、富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた責任を取らされ、天草領4万石を没収された。正保4年(1647年)に江戸藩邸で自殺し、嗣子がなかったために寺沢家は断絶となった。以後、譜代大名5家が入れ替わった。
明治4年(1871年)、廃藩置県により廃城となり、払い下げにより建造物が解体された。明治10年(1877年)に舞鶴公園として整備・開放された。現在の天守は慶長期の様式で建築されていたと想定し、昭和41年(1966年)に造られたもの。他、復興の櫓や門が建てられ、石垣・堀が復元された。
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『ホテル&リゾーツ 佐賀 唐津』。
2019年にリノベーションオープン。1階ロビーでは唐津エリアの歴史・産業に触れる事が出来る展示ブースや、展示販売やギャラリースペース等を設置。レストランからは虹の松原、玄界灘、唐津城を望む事が出来る。
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ホテルにいながらにして、佐賀唐津の魅力に触れる事が出来る。
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部屋は和&洋の広くて綺麗な客室。
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コンビニまで徒歩5分。大浴場(展望風呂、サウナ)、レストラン、バー、ラウンジ、宴会場、カラオケ、マッサージ、売店あり。
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日本三大朝市『呼子朝市(よぶこあさいち)』🦑
イカ漁が盛んな唐津市呼子町。名物の「イカの活きづくり」を目当てに、年間で90万人以上が訪れる。活きづくり発祥の店「河太郎」、新鮮な海産物などが並ぶ「大漁鮮華」、呼子湾や呼子大橋が一望できる温泉「呼子台場の湯」、炭火焼きBBQ施設もある「呼子台場みなとプラザ」など魅力満点。
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江戸時代、漁師と農家が鮮魚や農産物をぶつぶつ交換していたことが原型で、大正時代の初期に魚が獲れた時に市ができたのが始まりとされている。
男衆が玄界灘へ漁に出て取った新鮮なウニやサザエや獲れたての魚介類、自家製イカの一夜干し、魚の干物、収穫したての野菜、果物など様々な品を女衆が朝市通りに持ち寄って販売している。
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約200mある『朝市通り』には、毎日50〜70軒の露店や店舗が並ぶ。早朝から元気なおばちゃんたちの声で溢れている。
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物干しにぶら下がったり、「いかぐるぐる」でくるくると回転する「イカの一夜干し」は、呼子港ではお馴染みの風景。太陽光と潮風が程よくいきわたり、旨みのある一夜干しに仕上がる。
また、生きたままその場で割って召し上がれるウニも自然の塩分と甘さがあって美味。
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呼子名物のひとつで、土産物の定番ともいえる「いかしゅうまい」。その誕生は海中レストラン『萬坊(まんぼう)』で出されたのがきっかけ。
活きづくりとはまた違ったイカの甘みや旨味を実感でき、口いっぱいにひろがるふんわりとした食感と肉汁とぷりぷりの歯ごたえが魅力。
萬坊では産地指定で育てられた甘味たっぷりの玉ねぎと、純植物性原料のみの飼料だけで育てた鶏の産みたて卵、にがり成分を含んだ海塩など、イカ以外の原料も厳選。作り置きを一切せず、保存料も使用せず、作ったその日に出荷するというこだわり抜いた一品。
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サザエの壺焼きや、魚肉で作られた唐津名物コロッケ「魚ロッケ」。
「呼子プレス商会」の巨大な「いかプレスせんべい」も人気。
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海中で泳ぐ魚を目の前で見ることができたり、「七ツ釜」をクルージングできる遊覧船『マリンパル呼子』。
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呼子のシンボル『呼子大橋』。
離島である加部島と九州本土を結ぶ全長約728mのPC斜長橋。ハープを並べたような優美な姿が真っ青な海に映える。
ここの夕景は呼子の新しいビューポイントとなっている。「新さが百景」にも選出された。
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加部島にある海鮮料理店『いか道楽』の「いか活け造り定食」。内容はいか活け造り、イカシュウマイ、茶碗蒸し、ご飯、味噌汁、漬物、小鉢。「いか釜飯」は味付けされたご飯の上にイカの切り身を乗せ、錦糸卵で飾りつけされている。
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玄界灘で取れたばかりの剣先いかが生きたまま丸々登場。新鮮で透き通っていて、身は柔らかいが弾力があり、そして何よりも甘い。
残ったゲソとエンペラは一度回収され、柔らかくてプリプリな天ぷらに調理されて登場。
どれも旨い!
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加部島に鎮座する『田島神社(たじまじんじゃ)』。
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式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。
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「松浦古事記」では天平3年(731年)に相殿に稚武王を配祀し、天平10年(738年)に聖武天皇より大伴古麻呂に詔命があり、「田島大名神」の神号が贈られたとする。
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江戸時代には唐津藩の祈願所となった。
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海上守護の神。
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主祭神の3柱(田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊)
は宗像大社祭神の宗像三女神に同じで、田島神社では「田島三神」と総称される。配祀神として大山祇神、稚武王尊(仲哀天皇の弟)を祀る。
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境内には「肥前国風土記」に記された日本三大悲恋物語のひとつ・佐用姫伝説にまつわる「佐與姫神社」が鎮座し、佐用姫が変じたとされる石(望夫石)が祀られている。
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豊臣秀吉の渡海船小鷹丸の船玉神を祭る「御崎神社」、林の中には「太閤祈念石」がある。秀吉が大願成就の願をかけ、槍の石突で突くと見事に割れたと言われる岩。
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創建は不詳だが、県内最古の神社のひとつと言われる。
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玄海国定公園の一部「七ツ釜園地」。草原や展望台や遊歩道が整備されている。
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国の天然記念物『七ツ釜(ななつがま)』波
玄武岩が玄界灘の荒波が集中して打ち寄せ、その衝撃やエネルギーが岩を砕き、浸食されてできた景勝地。何万年も前から続く荒波が作り上げた迫力の造形美が見もの。
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西側の「象の鼻」と呼ばれる巨岩の先まで海上から30〜40mの高さで突き出た柱状節理の絶壁が続く。
海は深く澄んだアクアブルー。
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縦に切り立った岩は、長い年月をかけて海蝕によってできた柱状節理(ちゅうじょうせつり)。玄武岩のマグマが約700〜1,000度で固まった後、溶岩が冷えて固まる際に収縮してひび割れし、六角柱の形になった。
断崖は深くえぐられ、その名の通り7つの海蝕洞が並列している。小さな洞窟も含めると、実際には7つ以上の洞窟がある。マリンパル呼子の遊覧船でじっくり見学できる。
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爽快。
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『虹の松原』虹
日本三大松原のひとつに数えられる景勝地で、国内の松原で唯一国の特別名勝。216haと三大松原の中でもダントツの広さ。長さ約4.5km、幅約500mにわたって約100万本のクロマツが群生し、海水浴場と隣接している。
その歴史は古く、17世紀初めに初代唐津藩主・寺沢広高が防風・防潮のため、海岸線の砂丘にクロマツを植林したのがはじまり。
パワースポット「連理の松」や、七不思議があることでも有名。
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『からつバーガー 松原本店』。
唐津のご当地バーガー。「虹の松原」を通る国道347号線沿いの駐車場にあるレトロなマイクロバスの店。
メニューは「スペシャルバーガー」。具材はチーズ、ハム、レタス、エッグ。
佐賀産和牛パティの旨味主張が肉汁と共に伝わる。バンズは外側がカリッとしつつも中はもちふわで香ばしい。胡椒で味付けがされており、コクのある甘めの自家製BBQ(デミグラス)ソースとの相性も良し。分厚いチーズは歯ごたえがあって濃厚。存在感の強いエッグはふんわりと厚みがあってオムレツのような食感。これらの具材がコクと風味を付加している。
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松原の裏手にそびえる『鏡山』。
山頂への曲がりくねった道のりはドライブコースとしても人気。
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山頂には展望台や休憩所や売店があり、多くの観光客が訪れる。
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虹の松原と共に、玄海国定公園の一部。
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「鏡山稲荷神社」。
祭神は息長足比売命(神功皇后)。
皇紀860年(200年)、第14代仲哀天皇妃である神功皇后が三韓征伐の時に鏡山に登り戦勝祈願したことにより創建。山の名前は神功皇后が山頂に鏡を埋めて祀ったことに由来。
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田島神社と同じく佐用姫ゆかりの地で、境内社「佐用姫神社」がある。「三大悲恋物語」が伝えられており、叶えられなかった想いを現世に代わり叶えて欲しいという思いから、現在では縁結びスポットとなっている。
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標高284mの鏡山の頂上にある『鏡山展望台』からの眺望。
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眼下に市街地はもちろん、虹の松原や唐津湾、そのかなたに壱岐の島影をも望む。
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夜は夜景スポットとしても人気。
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虹の松原を一望。海風の影響で樹枝は屈曲し、黒松が青い海と白い砂にそって虹のような弧を描いている。
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絶景を誇る名所。
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【佐賀市】


富士町嘉瀬川清流沿いに佇む「熊の川温泉」。脊振山地の麓にある深い緑に抱かれた静かな山里にある『湯泉郷 温泉館 湯招花(とうしょうか)』。
露天風呂、大浴場、サウナ、ジャグジー、家族風呂、休憩室、食事処、温泉スタンドなど完備。男女日替わりで檜風呂と岩風呂の趣きの違う2種の風呂がある。
日本でも有数なラドン含有量。新陳代謝を促し、動脈硬化や高血圧にも効果的。湯に入るだけではなく、湯気を吸ったり温泉水を飲んだりして美肌、健康、心身の疲労回復効果を堪能できる。
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家族風呂。
地下1,050mから湧き出る多種類のイオンを含んだ単純放射能泉の天然掛け流し。毎分500ℓの豊富な湧出量は西九州最大級。アルカリ性のトロトロの浴感を堪能できる。
季節ごとに優しい自然の風や鳥の声、川のせせらぎや山の緑を静かに感じることができる。
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【三養基郡基山町】


老舗洋食店『キリンヤ』の「ハンバーグセット(+チーズ)」。
ハンバーグは肉とつなぎとの割合も絶妙。歯が要らないほどふわふわで、箸で簡単に切れて噛まないでも飲み込めるほど柔らかい。肉汁もたっぷりで、コクのある甘めのデミソースとのバランスの良さが際立つ。
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佐賀土産。
『佐賀牛』と『唐津くんち』要素イン。
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ありがとう。楽しかったよ佐賀(^^)
『バルーンフェスタ』にも行ってみたい風船
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