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2020年07月31日21:00

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熊野 〜奇岩崇拝〜

世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』関連第3弾。
春に訪れた熊野。2ヶ月近く前に完成してたけど、公開していなかったもの。
構成遺産の高野山も何度か訪れているので、そちらもそのうちまとめる予定。たぶん。きっと。


『熊野 〜そして南へ』(2017)
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『世界遺産・吉野山の桜と霊場」(2019)
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【奈良県五條市大塔町】


道の駅『吉野路大塔』。
宿泊施設ロッジ「星のくに」、ログキャビン、ログハウスと隣接する星
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【奈良県吉野郡十津川村】


何年経っても変わらない、のどかな場所。
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【和歌山県田辺市】


熊野三山の一山『熊野本宮大社』旧社地である『大斎原』⛩
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カルピスを持って、ヒゲダン流しながらドライブ車(RV)爽快。
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【和歌山県東牟婁郡那智勝浦町】


ようこそ那智へ。
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足湯『海乃湯(うみのゆ)』いい気分(温泉)
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『勝浦港』⛴
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那智勝浦名物の生マグロを求めて、昭和49年開業の老舗『竹原』へ。店内には有名人の写真やサイン色紙がぎっしりの有名店。
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メニューは「まぐろ定食」魚赤身の刺身、中トロ、マグロの炙り、お新香、あさりの味噌汁のセット。
ゴロゴロと大ぶりで新鮮な赤身刺身は生マグロだけあってねっとり&もっちりしていて口の中でとろける。これぞ本場マグロ本来の旨味。濃厚で旨い。
炙りには淡路島産の玉ねぎスライスが乗せられてポン酢がかかっており、添えられたレモンを絞っていただく。こちらも美味。
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『OYO ホテル&レンタカー660』ホテル
天然温泉(勝浦温泉)、朝食付の綺麗なホテル。
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那智名物『那智黒(なちぐろ)』のど飴。
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夜の『那智海水浴場』。
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ホテルを満喫いい気分(温泉)
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【和歌山県新宮市】


『神倉神社(かみくらじんじゃ)』⛩
熊野三山の一山『熊野速玉大社』の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
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神倉山に鎮座し、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる急勾配の鎌倉積み石段538段を登る。
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創建は景行天皇58年(128年)頃といわれているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。
古事記や日本書紀によれば、神倉山は神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、これを得た神武は天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。
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熊野信仰が盛んになると、熊野権現が諸国遍歴の末に、熊野で最初に降臨した場所であると説かれるようになった。この説に従えば、熊野三所大神がどこよりも最初に降臨したのはこの地であり、そのことから熊野根本神蔵権現、あるいは熊野速玉大社奥院と称された。
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山上には「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨岩がご神体として祀られており、近年はパワースポットとして人気を集めている。
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平安時代以降には神倉山を拠点として修行する修験者が集うようになり、熊野参詣記にもいく度かその名が登場する。
鎌倉時代の建長3年(1251年)には火災により焼失したが、執権の北条時頼より助成を与えられて再建された。
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戦国時代から近世初期にかけても度々災害に見舞われているが、なかでも天正16年(1588年)には豊臣秀長の木材奉行によって放火され、境内がことごとく焼失した。
近世以降は、紀州徳川家や新宮領主の浅野氏・水野氏の崇敬をあつめた。慶長7年(1602年)には浅野氏より社領として63石を与えられたほか、正保2年(1645年)には一年の祈祷料として、米3石6斗と燈明料米1石8斗が与えられた。
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毎年2月6日に行われる例祭「御燈祭」が有名。
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ゴトビキ岩の根元を支える「袈裟岩」の周辺には経塚が発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、さらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている。
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新宮城第2代城主の水野重良から寄進された「神倉神社の手水鉢」は、黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げた江戸時代のもので、寛永8年2月の銘がある。
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『総本家 めはりや 本店』。
新宮・熊野地方の郷土料理『めはり寿司』。
寿司ではなく、特製の醤油だれのついた塩漬けした高菜の葉を巻いた俵型のおにぎり。中には細かく刻んだ高菜の茎が入っている。醤油だれの高菜と米の相性が抜群に良い。
セットの豚汁は濃厚でありながらまろやかな味。
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【三重県紀宝町】


道の駅「紀宝町ウミガメ公園」で有名な紀宝町カメ
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【三重県熊野市】


熊野の観光マップ。
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『花窟神社(はなのいわやじんじゃ)』⛩
日本書紀では国産みの舞台として登場する、日本最古の神社のひとつ。
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世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
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祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)。
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この地は熊野三山信仰に先立つ古代からの聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っており、まさに日本人のルーツといえる場所。
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社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45mの巨岩である磐座が神体。この巨岩は「陰石」であり、神倉神社の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ、ともに熊野における自然信仰の姿を今日に伝えている。
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神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる大きな窪みの岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて拝所が設けられている。
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一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3km先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。
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花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18mの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている。
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伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬され、以来近隣の住人たちは季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。
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古くから漁民の葬送地、祭祀の遺跡として知られている。元々は神社というよりも墓所として認識されていた。
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御神体から掛けられている大綱は約170mあり、縄の間には伊弉冊尊の子である「三神」を意味する旗縄で「三流の幡(みながれのはた)」とよばれるものと、2つの扇がある。また、この綱は7つの縄を束ねて作られており、伊弉冊尊の子の「7つの自然神」を表している。
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日本書紀に記されている事柄そのままに、今も毎年2月と10月には、例大祭「御縄掛け神事」が行われ、多くの参拝者が訪れる。
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爽快。
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『獅子窟(ししいわ)』虎
熊野酸性岩の風蝕洞で、地盤の隆起と海蝕現象によって何千年もの長い年月をかけて生み出された高さ25m・周囲約210mの奇岩。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
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巨大な獅子が太平洋に向かって咆哮するかのような姿からこの名が付いた。学術的価値も高いものだと言われており、日本のスフィンクスとも呼ばれる。
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国の名勝・天然記念物に指定されている。
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夕焼け時の姿はよりいっそう凛々しく見える。
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南側に位置する「神仙洞」の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する「大馬神社」の狛犬として敬愛されている。このため、大馬神社には今も狛犬が設置されていない。
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『七里御浜(しちりみはま)』🏖
熊野市から紀宝町に至る約22km続く、日本で一番長い砂礫海岸。「日本の渚百選」や「21世紀に残したい自然百選」にも選ばれた美しい海岸地域。
「吉野熊野国立公園」の一部。「熊野古道伊勢路」の一部。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
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その昔、熊野詣でをする人々にとっては「浜街道」として、西国三十三所を目指す巡礼者が多く歩いたことから「巡礼道」とも呼ばれ、信仰の道としての役割を果たしていた。
海岸には熊野川を経てたどり着いた様々な種類の石を見ることができる。春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られている。
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『鬼ヶ城(おにがじょう)』へなまはげ
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伊勢志摩から延々と続くリアス式海岸の最南の地。熊野灘に面して約1.2km続いている岬。
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東口には「鬼ヶ城センター」があり、売店や観光情報発信コーナーのほか、レストランやカフェなど、食事や休憩の施設も充実。売店では熊野のお土産物が多種多様にそろっているほか、熊野特産の柑橘・新姫のソフトクリームや、熊野地鶏の手羽先唐揚げなどを味わえるテイクアウトのコーナーもある。
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青い太平洋を背景に、鬼ヶ城のイメージキャラクター「鬼姫ちゃん」と「鬼丸くん」がお出迎え。
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1.5km先に見える小さな島は「魔見ヶ島(まみるがしま)」。通称「マブリカ」。平安時代、桓武天皇の命により坂上田村麻呂が鬼ヶ城の鬼討伐に向かった折、童子が現れて舞い唄ったのだとか。それに気を取られた鬼が岩戸を押し開けたその一瞬に、坂上田村麻呂が神通の矢を射て鬼を仕留めたという伝説がある。
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獅子岩と同じく、熊野酸性岩が隆起や海面の上昇・下降に伴う海蝕・風蝕と数回の大地震によって隆起した凝灰岩の大岩壁波
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熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞などが階段状に並んでいる奇岩奇勝。
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自然の力で造られた物とは思えない、彫刻したかのような岩やトンネル。
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釣りスポットとしても人気釣り
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15mの巨大な岩の天蓋がある「千畳敷」。広さは約1500屐かつては「鬼」が集ったであろうこの広場で、現在はイベントが行われることもある。
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マブリカは現在ではダイビングや釣りの人気のスポット。
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国の天然記念物及び名勝。「日本百景」にも選ばれている名勝地。
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荒々しい海岸線の終わりに位置する鬼ヶ城は、その険しさを象徴するかのように人を圧倒する自然の造形となっている。
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この断崖絶壁は、猿でさえこの高さ数十mの断崖に恐れをなして後戻りすると言われることから「猿戻り」と呼ばれている。
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ごつごつした岩の感触や打ち寄せる波音に吹き付ける風が加わって、まさに全身で絶景を感じることができる。
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夜は満天の星空が広がるとか。
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天然の岩の彫刻芸術。自然の造形は圧倒的。
類い稀な景観・波の音・潮風・熊野の光を楽しめる。
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「鬼の見張場」。大岩の屋根の下、広い平地のスペースになっており、東は七里ヶ浜、西は魔見ヶ島や磯崎町の猪ノ鼻まで、広く東西を見渡すことができる。
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毎年8月に行われる熊野大花火大会の「鬼ヶ城大仕掛け」でも有名。
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坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受けて、鬼と恐れられこの地を荒らし廻っていた海賊・多娥丸(たがまる)を征伐したという伝説がある。
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室町時代に有馬忠親が山頂に城を築いて以降、鬼ヶ城と呼ばれるようになった。
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山頂には戦国時代の城跡があり、熊野古道・松本峠と連結するハイキングコースが整備されている。
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西口近くにある「波切不動」は、周囲の岩とは明らかに岩質が違い、その形が不動尊を思わせることと、高波が来た際に波を噛むように見えることからそう呼ばれるようになった。
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また、西口近くにはたくさんの洞窟があり、その天井には波切不動の上にあるような、「蜂の巣」と呼ばれる無数の大小の窪みがみられる。
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西口付近。
海も綺麗で、潮風が気持ちのいい場所波
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【奈良県吉野郡十津川村】


帰り道。十津川にあった食堂でちょっと休憩カレー
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『谷瀬の吊り橋』。
昔ここを渡ったことがあるけど、超怖かった。
懐かしい。
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紀伊エリアはまだまだ魅力がいっぱい!
また行かなくちゃ!
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