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2019年04月22日21:00

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真冬の北海道 (2/3) [旭川-稚内-札幌]

真冬の北海道3部作・第2弾☃








【旭川市】


美瑛から北へ。
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北海道内第2の都市・旭川。
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「国際会議観光都市」に認定されており、年間500万人以上の観光客数がある。
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ぶらっと買い物していると吹雪いてきたので、休憩がてら名物の旭川ラーメンを。
『なの花』の旭川「正油ラーメン」ラーメン醤油ベースの中華そば。冷えた体に染み渡る。
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道北の中心都市。
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日本最北かつ全国有数の動物園である「旭川動物園」「上野ファーム」などが有名。
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「旭川駅」で旅の支度。
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【名寄市】


北へ。再びローカル線鈍行列車の旅🛤
旭川から名寄を経由し、日本最北の地に至るJR北海道の鉄道路線『宗谷本線』。地方交通線としては日本最長の259.4km。たった1両の普通列車は、1日1本だけ往復している。
山間部や無人地帯を走行する区間が多く、日本で最も秘境駅が多いとされる、鉄道ファンにはたまらない区間。
約10年間で575.9kmが廃止され、123もの駅が消えたという。
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「名寄(なよろ)駅」。
名寄市の中心駅であり、普通列車に加え特急や快速が停車する宗谷本線の主要駅。この駅より先はしばらく田園や酪農地帯が続く。
一日平均乗降者数は442人。
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「北星(ほくせい)駅」。
ホームから離れた場所に木造の古い待合室がある。駅中心半径1km以内に4〜5世帯しかなく、約10人しか住んでいない。商売店は0。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング(牛山隆信の「秘境駅へ行こう!」のランキング)全国23位。
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「智北(ちほく)駅」。
周囲は田畑が広がり、沼や湿地が多い。
無人駅。一日平均乗降者数は2人。
秘境駅ランキング全国71位。
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【中川郡美深町】


「南美深(みなみびふか)駅」。
付近は田畑が広がり、数軒の農家があるのみ。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング全国46位。
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「初野(はつの)駅」。
付近は民家の点在する田園地帯。
無人駅。一日平均乗降者数は3〜4人。
秘境駅ランキング全国70位。
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「紋穂内(もんぽない)駅」。
貨車の車掌車を使った古い駅舎。周囲に人家はほとんど無く、田畑があるのみ。天塩川の川向こうに集落があるため、駅前は閑散として草原ばかり。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
秘境駅ランキング全国31位。
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車窓に広がる雪景色に心踊る雪結晶
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「恩根内(おんねない)駅」。
美深町最北部にある集落の駅。
無人駅。一日平均乗降者数は2〜3人。
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「豊清水(とよしみず)駅」。
駅の西側は天塩川を挟んで山が迫る。高台に駅があるため、周りの風景が眼下に見える。周りは一面の牧草畑。
駅中心半径1km以内に1世帯しかなく、4人しか住んでいない。商売店は0。人の気配はほぼなし。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング全国22位。
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宗谷本線の約1/2の区間が天塩川と並行している。
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【中川郡音威子府村】


「天塩川温泉(てしおがわおんせん)駅」。
ここから北海道で最も人口の少ない音威子府村。周辺は酪農地帯。
近くに「音威子府住民保養センター 天塩川温泉」という温泉施設がある。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング全国49位。
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撮り鉄に紛れて、駅や風景を撮影。
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「咲来(さっくる)駅」。
咲来集落は明治時代に駅逓が置かれて稚内方面開拓の中継になり栄えた。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング全国49位。
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旭川から稚内まで約7時間の旅。
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「音威子府(おといねっぷ)駅」。
ここで長時間停車するので、駅付近を散策。
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付近には音威子府村市街地、商店街、住宅地がある。
一日平均乗降者数は34人。
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音威子府村の代表駅。かつては宗谷本線・天北線の分岐駅であり、交通の要衝だった。
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路線バスとの乗換駅として機能する重要な拠点であり、特急を含めた全ての旅客列車が停車する。
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村の名産品である「音威子府そば」が有名。
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「筬島(おさしま)駅」。
周辺は森と天塩川に囲まれ、鹿や熊が度々出没する地域。駅前には「エコミュージアムおさしまセンター」がある。
無人駅。一日平均乗降者数はほぼ0人。
秘境駅ランキング全国55位。
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【中川郡中川町】


「佐久(さく)駅」。
駅舎は「佐久ふるさと伝承館」と名付けられた公共施設となっており、絵画、古道具や農機具、出土した化石などが展示されている。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
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「歌内(うたない)駅」。
付近は自然が広がる秘境。
無人駅。一日平均乗降者数はほぼ0人。
秘境駅ランキング全国47位。
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【天塩郡幌延町】


「問寒別(といかんべつ)駅」
この駅から幌延町。付近には幌延町問寒別集落がある。
無人駅。一日平均乗降者数は1人。
秘境駅ランキング全国47位。
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「糠南(ぬかなん)駅」。
駅舎は無く、小さな待合室があるのみ。付近は牧草地帯となっており、建物は住民夫婦が住む1軒のみ。宗谷本線内でも1、2位を争う秘境。
無人駅。一日平均乗降者数はほぼ0人。
秘境駅ランキング全国10位。
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「雄信内(おのっぷない)駅」
当駅前を含む幌延町雄興地区の人口は2世帯6人であり、現在の駅前は全く人が住んでいないとされ、廃屋が多い。
無人駅。一日平均乗降者数はほぼ0人。
秘境駅ランキング全国53位。
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「安牛(やすうし)駅」。
駅前は集落となっていたが、現在人家はない。
宗谷本線の貨車駅舎の中で最も外壁塗装の劣化が激しい。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
秘境駅ランキング全国32位。
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「南幌延(みなみほろのべ)駅」。
周辺には牧場がある。
無人駅。一日平均乗降者数はほぼ0人。
秘境駅ランキング全国44位。
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「上幌延(かみほろのべ)駅」。
幌延町開基以来の集落であり、駅周辺に数件の民家がある。そのほかは原野と牧場。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
秘境駅ランキング全国45位。
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「幌延(ほろのべ)駅」。
特急が停車する。移住情報の提供や、グッズ・コーヒーの販売、特急列車の町民乗車票の販売を実施する移住情報PR支援センター「ホロカル」を開設。
付近は幌延町の中心市街地が広がる。
一日平均乗降者数はほぼ30〜31人。
ここでしばらく停車。
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「下沼(しもぬま)駅」
本駅のイメージキャラクター「ぬまひきょん」をイメージした駅舎。
西側は牧草地と少数の住居・牛舎などの酪農施設・寺院が点在し、その先の防風林の向こうには広大な下サロベツ原野が広がる。東側は線路に沿って鉄道林がのび、林の先は丘陵地となっている。
無人駅。一日平均乗降者数は1人以下。
秘境駅ランキング全国24位。
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【天塩郡豊富町】


「徳満(とくみつ)駅」。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
秘境駅ランキング全国84位。
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【稚内市】


「抜海(ばっかい)駅」。
こここら稚内市抜海村。
クマザサに覆われた無人の荒野の中にある。日本最北の無人駅で、最北の木造駅舎。映画やドラマの撮影に使用された。
付近に人家は3軒ほどしかない。駅前には牧草地が広がっていて、店舗などは無い。西に1km歩くと日本海に面した抜海原生花園があり、海の向こうに利尻富士を眺めることもできる。抜海の市街地は道道106号を羽幌方面に1.5kmほど下った抜海漁港付近にあり、付近では冬季にゴマフアザラシの群れが見られることがある。
無人駅。一日平均乗降者数は1〜2人。
秘境駅ランキング全国30位。
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「南稚内(みなみわっかない)駅」。
特急が停車する。当初は宗谷線の終点として、稚内駅という名前で大正11年(1922年)に開業。翌年、当時日本領であった樺太と結ぶ稚泊連絡船開設され、稚内駅は樺太と連絡するための重要な拠点となり、当時数少ない北海道内の急行列車は函館から稚内まで直通するようになった。稚泊連絡船の発着する埠頭には待合所が建設され、後にこの施設が稚内港駅へと発展する。
開設された1923年の8月、宮沢賢治が当時樺太にあった王子製紙の工場に教え子の就職を斡旋するためにこの駅を利用している。昭和3年(1928年)、稚内港駅まで延伸された。昭和14年(1939年)に、南稚内駅へ改称し、従来の稚内港駅が稚内駅となった。
かつては稚内市の郊外だったが、市街地の南・東地区への拡大と人口の移動に伴い、駅周辺に市街地の一部が存在している。大型商業施設や郊外型の商業施設、ホテル、ファーストフード店などが多数立ち並んでおり、チェーン店で日本最北のものも多い。
一日平均乗降者数は83〜34人。
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"日本最北端の駅、終点稚内駅到着です"という自動音声放送とともに、「稚内(わっかない)駅」に到着。
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昭和13年(1938年)から防波堤桟橋内に「稚内桟橋駅」を設置(ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱い)。稚内桟橋駅は、現存する北防波堤ドーム沿いに線路が敷かれてドーム内に旅客ホームがあり、線路を跨線橋で渡った南側に駅舎を設置していた。昭和20年(1945年)、実質的に廃止となった。
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日本国内の最北端にある鉄道駅。
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一日平均乗降者数は120人。
窓口では「日本最北端の駅来駅証明書付き記念入場券」を発売している。
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平成24年(2012年)に完成した綺麗な4代目駅舎。駅舎となる「キタカラ」、道の駅わっかない・バスターミナルと一体の交通結節点になっているほか、売店や飲食店、コンビニエンスストア、観光協会、地域交流センター、映画館、グループホーム、高齢者住宅がある複合施設になっている。また、みなとオアシス「わっかない」を構成する施設になっている。
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駅前交差点は国道40号の終点、国道232号と北海道道106号稚内天塩線の起点になっている。
周辺にはホテル、市場、飲食店、コンビニ、スーパー、病院、様々な公共施設などがある。
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以前の日本最北端の線路として使用していた車止めとレールは、稚内市がJR北海道から寄贈を受けてモニュメント「日本最北端の線路」として元の位置に復元した。
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稚内駅・最北端の線路の先へ、北東に500m。稚内港にある大型の防波堤『北防波堤ドーム』。
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北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船の桟橋など港湾施設の保護および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、昭和6年(1931年)から5年間をかけて建設された。設計者は北海道庁の技師・土谷実。
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建設後、稚内駅からドームの手前まで国鉄の線路を延長し、同駅の構内仮乗降場扱いで「稚内桟橋駅」が開設され、乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ連絡船に乗り込んだ。
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その後、第二次世界大戦を経て終戦を迎えたことから稚泊連絡船は消滅し、これとともに稚内駅から桟橋駅に続く線路も消滅したが、防波堤としての機能は維持されており、以後も礼文島や利尻島への航路など多くの船が発着する稚内港を守り続けている。
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宗谷岬での初日出を求めて、多くのライダーがドーム内にテントを張って寝泊りをしている。
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北海道遺産に指定。CMやテレビドラマなどのロケ地としても知られるほか、様々なイベントに用いられている。
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高さ約14m、長さ427m。
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古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本の太いエンタシス状の柱列群となだらかな曲線を描いた回廊は斬新な印象を与え、世界でも類のない建築物として内外の注目を浴びている。
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夜の日本最北の街。
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店は少ないけど、昔ながらの飲み屋やスナックが昭和レトロでノスタルジックな雰囲気。
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人も少なくて静寂。風が強い極寒の地。
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北海道3日目は稚内の温泉付きホテル・ドーミーイン。
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夜が更けると吹雪いてきたけど、それが逆に露天風呂では気持ちいいいい気分(温泉)
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明け方。
稚内市街地から車やバスで約40分弱。日本最北端の地・『宗谷岬(そうやみさき)』。
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最北端の公衆トイレ。
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日本最北端の店「柏屋」。
軽食店を兼ねた土産屋。100円で「日本最北端到着証明書」を購入することができる。
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周辺には港、郵便局、駐在所、学校、バス停などの日本最北端となる各施設がある。ここの近くにある日本最北端のガソリンスタンド「安田石油店宗谷岬給油所」で給油すると、無料で「最北端給油証明書」が頂ける。
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「間宮林蔵の立像」。
文化5年(1808年)にこの宗谷から樺太へ渡り、樺太が島であることを発見した間宮林蔵の偉業を称え、生誕200年となる昭和55年(1980年)に建立。
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そしてここが最北端の最北端。「日本最北端の地碑」。
昭和36年(1961年)に初代の石碑建立後、昭和43年(1968年)に正確な最北端の位置に現在の2代目石碑が建立された。
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北極星の一稜をモチーフにしたデザインになっており、中心にあるNの文字は「North(北)」を、台座の円形は「平和と協調」を表している。
夜はライトアップされる。
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日本最北端の神社「宗谷岬神社」。
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「大岬旧海軍望楼跡」。
旧帝国海軍が建設した海軍望楼の軍事史跡。明治35年(1902年)に旧帝国海軍によって国境の防備として建造。当時最強と謳われたバルチック艦隊の動きを早期に察知する必要性から、重要な海上監視の任務が課せられていた。現在は観光施設として望楼上に上がることができ、サハリン島が見渡せる。
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日本最北端の灯台「宗谷岬灯台」。
「日本の灯台50選」認定。国際海峡である宗谷海峡の航路を守る重要な役割を果たしている。
明治18年(1885年)に初代の灯台が点灯。現在の2代目の灯台は明治45年(1912年)建立のものだが、昭和29年(1954年)に大規模な改築が行われている。
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「あけぼの像」。
北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念し、昭和46年(1971年)に建立。
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北の最果て。
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岬の北西に浮かぶ「弁天島」。
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周辺を『宗谷岬公園』として整備しており、日本最北端の地碑をはじめとする記念碑、祈念碑、慰霊碑などが点在している。
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「宗谷丘陵展望休憩施設」。
平成3年(1991年)に完成した、宗谷丘陵や宗谷海峡を一望することができる施設。併設するレストランでは稚内ブランドの「宗谷黒牛」や北海道の食材を楽しむことができる。冬季は休業。
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夢と願いを。
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日本最北の地をめざして来た人々の記念撮影場所として人気。
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正面43km先にはサハリンの島影が浮かび上がる。
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再び市街地周辺。『北門神社(ほくもんじんじゃ)』⛩
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旧社格は郷社。
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天明5年(1785年)、松前藩の場所請負人であった村山伝兵衛が、宗谷の地(北見国宗谷郡)に北門鎮護の守護神として天照皇大神を奉り、宗谷大神宮という小社を建立。
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明治29年(1896年)、現在地に社殿を移築し、武甕槌神、事代主神を合祀して、北門神社へ名称を変更した。
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社務所が存在する神社としては、ここが日本最北。
大晦日の御朱印。日本最北端のスタンプが。
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先に見える「稚内公園」。朝の市街地を散策。
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稚内に背を向けて。
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再び鉄道の旅電車
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駅の売店で買った北海道牛乳クリームパン牛電車内で腹ごしらえ。
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音威子府駅。来た道を戻る。
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大晦日の夜。再び札幌駅へ。
年越しは札幌で。
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『JRタワー』で夕食を。
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もうすぐ2018年が終わる。
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年越しは大通公園・テレビ塔の前で。
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大晦日なので街は何だかざわついている。
すすきののカプセルホテルにチェックイン。温泉に入って年越し前までゆっくり休憩。
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3、2、1…。
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Happy New Year 2019!クラッカー
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再びホテルで温泉に入って宿泊。2018年とともに、4日目は札幌で終わる。
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元旦の朝日の出(山)
道内で最も人が集まる、北海道を代表する神社『北海道神宮(ほっかいどうじんぐう)』で初詣⛩
旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。蝦夷国新一の宮。祭神は大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇。
北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシア帝国に対する守りということで、大鳥居が北東を向いている。
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明治2年(1869年)、北海道開拓にあたって、明治天皇は北海道鎮護の神を祭祀するよう勅を発した。開拓の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の開拓三神が奉遷されることになり、東久世通禧の代理で島義勇が三神鏡を携えて札幌に赴くことになった。札幌に着任した島義勇は、明治天皇から預かった開拓三神を既に早山清太郎が札幌で祀っていたことに感銘を受け、明治3年(1870年)に石狩国札幌郡の創成川河畔に仮社殿を造り、官舎から神代を移して開拓神勅祭社とし、北海道一宮と称した。
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明治4年(1871年)に勅旨によって「札幌神社」と命名された。その後、三方を山に囲まれ一方が開ける丘となる円山の地(現:円山公園)が相応しいとして社地を定め、鎌倉宮を模した新社殿が落成し、遷宮を行った。
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明治22年(1889年)に、伊勢神宮の式年遷宮により、伊勢神宮の外宮正殿を移築し本社殿とした。昭和39年(1969年)に明治天皇を増祀し、社名を現在の「北海道神宮」へと改めた。
昭和49年(1974年)の放火によって社殿が全焼。現在の社殿は昭和53年(1978年)の再建。
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明けましておめでとうございます門松
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境内末社「開拓神社(かいたくじんじゃ)」。間宮林蔵などの北海道開拓功労者37柱を祀る。
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"元旦"の御朱印を札幌で。
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札幌に背を向け、南へ。






【苫小牧市】


「苫小牧(とまこまい)駅」。
水が美味しいことや、ほっき貝、「ノーザンホースパーク」で有名な苫小牧。
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さらに南へ。








⇨真冬の北海道 (3/3) [登別-室蘭-函館]へと続く。
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