昨年の昨日、持ち帰った『暮しの手帖』は五世紀の一号目だった。
初めて自分で買い始めたのは二世紀の時だったなあ。もうずいぶん時間が経った。
『暮しの手帖』は100号で一世紀としていて、この前の号が400号。
つまり四世紀を終えて、この号が五世紀の1号目ということなる。
ところで「暮しの手帖」は広告を取らない雑誌なのだが、そのことについて「暮しの手帖」の編集を長年務めた小榑雅章さんがご自分の著書でこんなことを書いていた。
あるとき編集部員だった小榑雅章さんは編集長の花森さんから真顔で
暮しの手帖はなぜ広告を取らないのか
と糺されたことがある。1960年、安保騒動の真っ最中で連日国会議事堂の周りを数万ものデモ隊が押し寄せていた時だ。
小榑雅章さんは
商品テストをするためには、東芝や日立やナショナルの広告をもらっていたら、中立の評価が出来ないし、広告をもらっているから手加減をしているのだと読者からも信用してもらえないので、広告をとらないのです
と教科書的な返事をした。
きっと優等生の得意顔だったのだろう。
花森さんはそれにこう返事をした。
その通りだ。だれでもそう思う建前だ
と言ってから、顔をあらためて、
でもな、われわれの相手は商品テストのメーカーや企業だけではない。本当の相手は、権力だ。政府だ。
自分たちに異論を唱え、反対するジャーナリズムは、必ず潰しに来る。
広告で経営していれば、必ず広告を出さないように企業に圧力をかける。それが権力だ。
権力に抗しようとすれば、権力に隙をみせてはならない。
いま新聞もテレビも、安保改定反対を叫んでいるが、本当の土壇場になっても踏ん張って権力に逆らえると思うか。
広告を止めると言われても、本当に主張を曲げないか。
暮しの手帖は最後の最後まで、主張を曲げない。その時は全頁をあげて主張すべきを主張する。そのために広告を取らないのだ。胸にしまっておけ。
■菅首相、東北復興への言及少なく=安倍氏と違い鮮明
(時事通信社 - 09月21日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6239765
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