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2020年11月23日23:04

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新たな問題を顕在化させた解決済事件【奥多摩町・小菅村バラバラ殺人事件】

今年の9月3日、1人の海外逃亡犯が日本の空港に降り立ったところ、待ち構えていた日本の警察官に逮捕された。

この人物は今から17年前に東京都奥多摩町でバラバラ殺人事件を起こした。

世間の話題は新型コロナウイルスと芸能人の相次ぐ自殺報道のタイミングだった為、全く注目度は低いが、確かに主犯格は逮捕され、表向きは解決したものの、別の問題も新たに顕在化させてしまったため、投稿することにした。

それはいかなるバラバラ殺人事件なのか。

流石に17年も経つため、事件概要から見てみよう。

■事件概要■

2003年10月4日、東京都西多摩郡奥多摩町の町道で、人の右腕が落ちているのを通りすがりの猟友会のメンバーが発見した。警視庁の司法解剖の結果、人物が特定された。被害者は古川 信也(こがわ しんや)さん、当時26歳。飲食店従業員で、六本木に高級クラブの出店を立ち上げる予定だった矢先の事だった。

警視庁は身辺調査を実施する。すると、古川さんはトラブルを抱えていた事が分かった。

高級クラブの新店を開店すると知ったあるふたりの人物が、顧客のクレジットカード情報を盗むことを古川さんに持ちかけた。

これを古川さんは拒絶。

ふたりの名はそれぞれ、紙谷 惣(かみや そう)容疑者、松井 知行(まつい ともゆき)容疑者。ふたりは古川さんを手際よく殺害するとハワイ経由で南アフリカ共和国に逃亡した。警視庁はふたりを追うが、既に逃げられていた。

なお、冒頭に出て来た空港で逮捕されたのは紙谷である。

警視庁は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際指名手配を行う。二人の交友関係を洗い出し、関連の深かった人物に聞き取り調査を行った。

ここまでであれば、紙谷と松井(注)がやったのだろうと思いがちだ。確かに二人が主犯なのだが、殺害と古川さんへのカード詐欺の勧誘に関与した人物が何と二人を含めて15人にも上る事が分かった。そのうち、11人はクレジットカードの偽造、振り込め詐欺にも関与して居る事が判明。
翌2004年1月8日、未成年者2名を含む8人が一斉に逮捕された。逮捕した8人から更に古川さん殺害について事情聴取を試みると、とんでもない事実が発覚した。

古川さんが殺害され、バラバラにされて遺棄される一か月前に埼玉県戸田市のアパートに彼は監禁されていた。9月19日、紙谷と松井からのカード詐欺勧誘に応じなかった古川さんは山梨県に連れて行かれ、絞殺されたという。後は最初に述べた通り、遺体はバラバラにされた。うち頭部は山梨県小菅村で白骨化した状態で見つかった。

ここまでが遺体発見までの事件概要だが、警察は彼らに余罪を追及。すると、別件を起こしていた事が判明したのである。

■東京都新宿経営者男性殺害事件■

2003年5月27日、当時38歳のスナック従業員・Bさんが新宿区歌舞伎町から行方不明となり、家族が捜索願を出すも、発見には至らなかった事件である。

彼らの供述から、失踪した同区歌舞伎町のホテルで監禁、暴行の末死亡させた上、埼玉県長瀞町まで運搬、遺棄したという。関与した者のうち、未成年者の少女2名もいた。彼女たちのうち1人は証拠不十分として釈放。

この2つの事件で何と15人中1人は釈放、12人が逮捕された。12人が一様に

「紙谷と松井の指示でやった。」

と述べている。

まあ利に敏いだけの結束の弱い犯行グループはこういうものだろう。

1人もハワイでクレジットカードの不正利用で逮捕。アメリカとは犯罪者の引き渡し契約があるので、2004年6月4日にアメリカの刑務所で服役を終えると、日本に身柄を移されて逮捕されている。

残るは紙谷と松井の二人のみとなった。

■出て来た新たな問題■

ここまで踏み込んでおきながら、なぜ警視庁は逮捕出来ないのか。ふたりが南アフリカ共和国にいる可能性は極めて高い。

実は日本と南アフリカには犯罪者の引き渡し条約が締結されていない。だから強制送還もされないのだ。警視庁関係者は歯がゆさを覚えただろう。外交ルートでの政府関係者、外交官が依頼するしかない。時間ばかりが空しく過ぎて行った。

しかし2011年11月11日。南アフリカから帰国した一人の日本人女性が成田空港で逮捕された。日本にいる知人に出頭するように説得され、帰国したところを身柄を拘束されたのである。警察が追及すると見逃せない供述をし始めた。何と二人とダーバンという南アフリカの街で中古車販売業をしているという。ダーバンは南アフリカで二番目に人口の多い街で、治安は良くないが、海岸沿いのリゾート都市でもある。半年ほど前(2011年6月)からは二人は別々に暮らし始めたとのことだった。今までにない詳細な情報だ。

この女性は殺意が不明確であること、証拠不十分ということで、同年11月23日に釈放された。

彼女の供述の裏を取る意味で、紙谷の知人男性にも事情聴取を警察は行なった。それによると、矢張りこの女性の供述の通りだった。

紙谷は古川さんを殺害し、バラバラにして奥多摩、小菅の山林に埋め、南アフリカに逃げたと述べている。

2011年末までに警視庁の捜査官は所在の確認、更に身柄の引き渡しを直接要請しに南アフリカに飛んだ。
潜伏場所と所在が確認され、後は身柄の引き渡しの了承を得るのみとなった。

早速捜査官が南アフリカ当局に要請すると拒否されてしまう。

なぜか。南アフリカでは1994年に死刑が廃止されている一方、日本では依然として死刑は最高刑となっている。二人を死刑にしないと確約を得ない限り(誓約書を渡さない限り)、引き渡しは出来ないと言って来たのだ。

これほどの残虐な事件である以上、死刑にならないという保証はない。ということで、そのような条件を飲めるはずもなかった。

二人が南アフリカにいる限り、逮捕することが出来ない・・・。

またしても警視庁の関係者は歯がゆさを感じる事になる。

ところが急転直下、何と紙谷が2020年8月22日、首都プレトリアにある日本大使館に自ら出頭して来たのだ。彼は帰国を要望したという。しかしながら、その理由は良心の呵責の為ではなく、昨今の新型コロナウイルス禍の為、仕事が無くなり、食うや食わずの生活を余儀なくされて帰国を決心したというのだ。

紙谷は9月1日に出国、カタール経由で9月3日に成田空港に降り立ったところを逮捕された。

残るは松井である。しかし紙谷に警察が事情聴取を行うも、紙谷は別々に暮らしているので、今は松井の所在が分からないと答えた。確かに女性の「別々に二人は暮らしている」という証言と符合はしている。
実は2020年5月、南アフリカ当局から警視庁は松井に関する情報を受け取っていた。

松井と思しき人物が2016年12月ごろ、海岸で首を吊って自殺していたというものだ。遺書も残されており、

「長い間ご迷惑を掛けて申し訳ない」

という趣旨で綴られており、遺書には松井知行、と名も記されており、指紋も一致。警視庁はDNA鑑定を検討しているとのことである。

このコーナー、今まで「未解決事件」を多く取り扱って来て、主犯格の一人は逮捕、一人は被疑者死亡で終わりそうだ。しかしながら、新たな問題も顕在化した。それは引き渡し条約の無い国に逃亡すれば、逮捕されない可能性もあるという問題だ。今回は偶々新型コロナウイルス禍が紙谷を逮捕に導いたが、もしそれが無ければと思うと非常に歯がゆい。ご遺族の方は何年も苦しんで来たのだ。一刻早く、国際協力が必要ではないだろうか。

最後まで御覧頂きまして、ありがとうございました。

注:拙稿のこのコーナーでは容疑者は冤罪の可能性が無い限り、昭和の時代のように全て呼び捨てで書かせて頂いております。当方は加害者の人権の方が大事だなどという今流行りの高邁な思想を受け容れるだけの度量は持ち合わせておりません。率直に加害者の人権よりも被害者の人権の方が優先だと思うからです。悪しからずご容赦下さい。

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