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2020年07月30日01:03

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迷宮入り事件を解く鍵・【八王子スーパーナンペイ事件・25年目の事実】

■中国人の男「八王子で強殺」=知人に告白、所在捜査―スーパー3人射殺・警視庁
(時事通信社 - 07月29日 07:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6174524

■思い出す未解決事件

夏のこの時期になると思い出す未解決事件がある。

それは八王子スーパーナンペイ事件という。ナンペイ事件とは八王子市大和田町のスーパーで1995(平成7)年7月30日21時17分に発生した殺人事件である。スーパーの閉店後、事務所でパートの47歳の女性(稲垣さん)、アルバイトの女子高生2人(矢吹さんと前田さん)が何者かに拳銃で頭を撃たれ、即死した事件だ。無抵抗の女性を至近距離から拳銃で殺害した日本の犯罪史上、卑劣なだけでなく、類を見無い残忍な手口だった。

それにしてもこの事件は日本のターニングポイントだろう。1995年以前ならば、銃器は過激派、ゲリラ、テロリストのものであり、一般人には縁が無いものとされていたが、八王子のそれも国道16号バイパスという幹線道路の近くのスーパーでこのような凶悪事件が発生したことは、日本の一般庶民もまた凶悪事件とは無関係ではないことを思い知らせた事件といえよう。

この年の春はオウム事件が新聞を踊っていたし、9月にはまた東京郊外の東村山で、朝木女性市議が西武鉄道の東村山駅ロータリーにある垣根で変死している。娘さんの直子さんや支持者たちのおかげで漸く裁判所は自殺ではないと認めた次第。

(※この事件はいずれ採り上げたい考えです。情報が錯綜しすぎており、編集に手間取っております)

 こういう奇怪で不気味な事件が多かったのが1995年なのだ。

 しかしもう25年になろうかという事件が依然として未解決事件のままなのだ。

かなり以前の事件なので、もう少し説明が要ると思う。mixiニュースは3人もの女性が「虐殺」されたと云っても良い事件にしては少々省略し過ぎだ。字数は嵩むが、補足も多いので、お付き合い頂ければ幸いである。

■事件勃発時の情勢

ちょうど夏祭りの時期で、ナンペイ周辺は騒がしかった。犯人は当然下見をしていたはずで、その騒音にまぎれた時間(大体21時から21時30分まで)に実行することを計画していたことだろう。

このスーパーは当時自分が行きつけのもう少し相模原寄りの家電量販店の直ぐ近く。ナンペイから国道16号バイパスに出るのに3分と掛からない。自動車があれば非常に交通の便が良いので、もし夜間に15分も取り逃がしたら、橋本(相模原市)か多摩川の北岸に簡単に逃げられてしまう。国道16号バイパスは制限速度60キロといっても、夜間は時速75キロが実勢巡航速度。首都高速の流れが良い時間帯と同じくらいである。この程度の速度では夜間だとスピード違反で捕まる方が稀である。 仮に実行犯がクルマから16号バイパスに逃げたら先ず捕まえることは出来ないだろう。

 犯行日、17時ごろ、サッカー台(スーパーで袋詰めをする台のこと)で袋詰めをしているお客がガラス越しに不審な人物を目撃している。外から中を窺うような感じで、50代くらいに見えたという。この男が実行犯なのか?

 18時30分、男性スタッフも退勤し、店内は2人だけとなってしまう。尤もスーパーに限らず、ドラッグストアもホームセンターも立地にもよるが、土日祭日は18時以降、お客さんの退きが早いは確かだからこの人数が間違っているとも思えない。当時は今と違って治安も悪くなかった。昼間はまだまだ八王子郊外だと鍵を掛けずに在宅している家も少なくなかったほどだ。

 ましてやこの日は斜め前の北の原公園で盆踊り大会が催されていた。18時半に祭りが始まる。近くに住むもう1人のアルバイトの女子高生(前田さん)は本来シフト日では無かったが、彼女は買いものついでに、仲良しの矢吹さんを待ってお祭りに行く積りだったようだった。実際、その時の会話を別のお客さんが聞いている。

 20時半、今度は店内で見なれない、矢張り50代と思しき男が買いものもせずにうろうろとしているのを買いもの客に目撃されていた。このお店には防犯カメラが4台もあったが、残念ながら、今と違い、リアルタイムに録画出来るタイプではなかったのも惜しいところだ。

 20時45分、今度は近くに住むよく来るお客がNHK大河ドラマ・「八代将軍吉宗」を見終えて来店した。この時、稲垣さんにお肉かお魚を買われますかと呼びとめられたが、アイスだけで良いと言うと、冷蔵の生鮮食品の棚を閉めている姿が目撃された。これが最後の目撃証言である。

別の証言もある。近くを通りかかったセダンに乗る男性からはナンペイの建物付近にヘッドライトが当たると、逃げる男が目撃された。その男は顔を隠していたという。 なぜ顔を隠す必要があったのか?

21時15分ごろ、稲垣さんが友人を会社の電話を使って迎えを頼む通話記録が残っていた(この時代はまだ私用電話に社内の電話を使う事はそれほど五月蠅くなかったことも幸いした)。稲垣さんは友人と仕事後、約束したお店に行く予定だった。ということは、彼女が電話して、わずか3分後には殺害されてしまったことになる。20分ごろ、この友人が迎えに来たが、事務所の窓は煌々と明かりはついているのが確認出来たもの、出てこないので、行き違いになった可能性もあるため、念の為、予約したお店に行ってみた。が、彼女は来ていない。そこでその女将と一緒に今度は行くことにした。事務所は鍵が掛かっておらず、恐る恐る入り、そこで事件を知ることになった・・・。

後は当時の報道の通りだ。

■なぜ解決出来なかったのか?■

こういう事件も珍しい。物証がこれだけ挙がっている、目撃者もいる。

しかし警察も犯人を特定せずして、捜査を続けている。

この事件の奇怪なところは、週末の売上金・526万円(この坪数でこの売上金。結構地元の人達から支持されていたのは間違いあるまい)に全く手を付けていないこと。ただ金庫には銃弾の当たったところがあるから、錠前を破壊しようとしたのかもしれないが。鍵はささったままだったのも妙だ。レジ回収担当の 稲垣さんが金庫のダイヤル暗号を知らなかったのか。単におカネを奪うだけであれば、稲垣さんを脅して、金庫を開けさせることは簡単に出来たはずだ。しかし、それをやっていない・・・。まるで稲垣さん達を見つけ次第虐殺しているような感じではないか。

稲垣さんと高校生ふたりを物取り目的にしては惨殺していること。2人は後頭部から至近距離を撃たれた。うち1人は頬っぺたに銃を突き付けられ、顔を吹き飛ばされたようだ。 更に戦慄すべき事実は、彼らに放った銃弾、この金庫に当たったものを除き、一発もハズしていないことだ。犯罪心理学に詳しい人の話だと、「相当殺人に手慣れているか、人を人と思わない残忍な人物か、その両方でないと絶対に出来ない」とのこと。大体顔面めがけて情け容赦なく平気で発砲出来る日本人はそう多くないという。

5発の銃声を聞きながら、誰も目撃していないこと。

但し、分かっているのは実行犯が独りということである。数多くの足跡が残っていて、更に、そのスニーカーも分かっている。大体15000円ぐらいの結構値の張るスニーカーだったらしい。が、詳細に見てみると、それはどうも1人のものでしかないという。更に鉄工所にしかないような金属粉が付着していたという。

銃はフィリピン製で、38口径の回転型。この当時発砲事件でよくロシア製のトカレフが報道されたが、よく暴発も聞かれた。が、この銃はそんなガサツな程度のものではなく、殺傷力はとても高いものだった。警察はフィリピンにまで足を運んだが、銃種こそ判明したが、結局犯人に肉薄するには至らなかった。

2008年(平成20)の秋に、中国で覚せい剤絡みで(注・中国は意外と麻薬には厳しい。500g保有しているのが分かると死刑は免れない)死刑囚になった日本人(武田輝夫)が実行犯を知っているはずだ、という情報が複数寄せられる。日本の警察も死刑前に大連に飛び、事情聴取を2009年9月に行なっている。が、武田死刑囚は「俺は関係ない。中国人ではないのか」と否定。それ以上の成果は無かったが、この証言を必死に手繰り寄せ、日中混成強盗団が捜査線に浮上。武田死刑囚は2010年4月9日に死刑が執行される。

警察はその収監されている1人からナンペイ事件の話を聞き出した。その人物は何亮(かりょう、仮名の可能性大と云い、他人名義のパスポートで違法にカナダに出国していたが、2013年の11月13日に日本の警察が接触に成功、同年12月5日に旅券法違反で起訴された。2014年9月19日に旅券法違反で懲役2年、執行猶予5年の有罪判決が下され、カナダに強制送還されている。何亮被告は当時

「俺はナンペイ事件に関与していない。もし関与していたら、死刑になっても良い。」

と供述。その後何度と無く警察も聞き出そうとしたが、核心に迫ろうとすると

「カナダにいる家族や親類に迷惑が掛かる。」

と口を噤んでしまった。

この事件、惜しいのは、あれだけ証言が得られているのに、逮捕に至っていないことである。犯行が強盗目的か、怨恨か特定出来なかったのもある。何しろ犯人は3人の女性をたった3分で殺害し終えている。全く私物を荒らしていないし、無くなってもいない。しかしそれでも金庫に銃弾が当たっていることから警察も迷ったのかもしれない。

但し初期のうちに絞り込んで居たら、逮捕に至ることが出来たかもしれない。矢張り初期捜査の重要性を感じる。

■判明した新事実■

公開されている捜査の軌跡はまだまだたくさんあり、それらを列挙すればするほどこの事件の根深さを思い知るが、今や殺人事件で時効が撤廃されたものの、この事件も思えばギリギリだった。何と時効撤廃の法律が施行されるまで、残りわずかしか無かったのである。この法律は異例中の異例で、2010年7月に与野党満場一致で可決。即日この改正刑事訴訟法が施行となる。遺族、親しい方々にしてみれば、亡くなった人たちはもう戻らないが、時効撤廃は唯一の救いだろう。

今も時効が撤廃されたことで、警視庁も捜査を続けている。25年目までに判明した新事実についてみたい。

・若い男女が特定されていない

警視庁のHPを御覧頂きたいが、当日閉店間際に焼きそばをはじめとする多くの食料品を購入した男女の身元が判明していない。タイミング的に2人は犯人を目撃した可能性が高く、現在も行方を警視庁が追っている。

・白いチェイサー/マークIIの目撃情報

犯行現場には21時頃、犯行現場からほど近いところに白いチェイサーまたはマークIIが無灯火で停止しており、中に25歳前後の男が乗っていたという証言があった。別の証言でも21時30分前後に一時不停止で走り去る白いチェイサーまたはマークIIが目撃されている。

・1億分の1の男

2015年2月、当時犯行現場に残されていた粘着テープから採取された犯人の指紋と、死亡していた日本人の指紋と「ほぼ」一致した。

「ほぼ」とはいかなることか?

一致したのは8点。8点の特徴が一致する確率は1億人に1人とされている。しかしながら警視庁が犯人と断定するには12点一致しなければならない。それで「ほぼ」という事になる。

この人物、現役時代は運送業に従事していて、2005に60代で病死していた事が分かっている。しかも事件発生時の1995(平成7)年には白いトヨタ・チェイサーを保有していたというのだ。なぜ指紋を採取されたのかといえば、1993(平成5)年に盆栽を窃盗し、逮捕されたからである。しかし凶悪事件は起こした事が無かった。しかも事件発生日時には運送屋にいたというアリバイが成立している。

しかも犯人の指紋とこの人物の親族の協力を得て、DNAを照合したところ、親族関係にない事が判明。たまたま1億分の1の確率で一致しただけという結果だった。

しかし拭えない疑惑がある。
この男性は窃盗罪で出所後も周囲に

「強盗でもやらないか」

と共犯を募って語り歩いていた事、更に運送屋の彼の親しい同僚が暴力団関係者だった。更にこの暴力団関係者は知人に拳銃を預かって欲しいと頼み込むなど、100%シロとは言い難いものがあった。なお、暴力団関係者も当時は地域のソフトボール大会に参加した後、チームメイトらと飲み会だったというアリバイがあるという。

・謎の女性DNA

2年ほど前、警視庁は本件において新たなDNAを採取したと発表。場所は事務所で、タバコの吸い殻入れに11本のタバコの吸い殻を発見した。うち、数本には口紅がついており、従業員、出入り業者の者のDNAとも一致しない。一体彼女は誰だったのか。いかなる目的で出入りしていたのか。

■蓋然性を追及すれば・・・■

当時のある新聞記事によれば、金庫のある事務所にいたる外階段にも犯人とは別の、従業員にもない指紋が採取されたとの情報もある。これが事実であればだが、実行犯は1人なのは間違いないとしても、先程の元運送屋、謎の女性など、複数の人物が共謀して起こされた事件だった可能性が高い。

例えば下見は事件発生直前に目撃されたライトに照らすと逃げた者がいるという証言。凶器の調達は元暴力団関係者、粘着テープの提供は「1億分の1の男」が行うといった具合に、役割分担が明確だったかもしれない。

防犯システムにもその後の調査で不可解な点が判明した。

21時15分に防犯システムがセットされ、16分には解除されていた事が発覚したのである。更に不気味な事に誰が解除したか全く分かっておらず、この人物が実行犯でないとしたら、矢張り連携した者がいた可能性が高い。

ここまで手の込んだ事をするからには単発的な犯行ではなく、用意周到に行われた、それも強盗だったかもしれない。但し矢吹さん、前田さんがいたことは想定外であり、稲垣さんは暗証番号を知らなかったか、脅しに屈しなかったので殺害した。犯人は一発も外していないことから、金庫に被弾した銃弾は稲垣さんを脅す為に発射したものかもしれない。

プロファイラーでもない自分には新たな証拠、新事実が出て来ない事には、ここまでが限界である。

■アウトロ■

犠牲になった矢吹さんの同級生たちは「銃器根絶を考える会」を設立し、啓発活動に努めている。同会の顧問で当時は学年主任だった伊藤孝久さんは

「銃犯罪を食い止める一助になれば、と思って活動を続けてきた」

と振り返る。教え子が17歳という若さで命を絶たれたことが残念でならない。
 
「何の罪もない子が銃の犠牲になった。『日本は大変なことになる』という危機感があった」

同会では学園祭の度にレポートを提示し、問題意識の向上を図ったり、毎年7月30日に追悼集会なども開催して来た。

伊藤さんは

「最早犯人が憎いという気持ちよりも、ただ、ただ真相が知りたい。真相を知れば矢張り犯人への憎しみが湧くかもしれないが。今は兎に角、犯人は名乗り出て欲しい。いつか事件が解明されることを信じている。」

とメディアに語った。真相解明されるのは何時のことか。亡くなった犠牲者はもう戻らないが、時効が撤廃されたのはせめてもの救いだ。真相解明がなされることで、もう二度とこのような事件は起きて欲しくない、という多くの人の共通の願いに近づけば良いと考えている。

長いレポートを最後まで御覧頂きまして、ありがとうございました。

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