この話は同級生の友人の浩さん(仮名)からお聞きした話である。
浩さんはまだ物心もつかないうちに母親を亡くし、父親で育てられた。日本ではシングルマザーの人達が問題になるが、経済的にはシングルマザーほど過酷ではないものの、シングルファーザーの家庭で育った子どもには愛情が足りず、内気になりやすい。
矢張り浩さんも小学生の時に散々イジメを受けていた。ついに2年生で登校拒否になってしまった。
今でこそイジメは認識してもらえるが、当時はイジメられる側が悪いとか、イジメている側は出来心だとか、ジョークの積りだとか、そんな風にしか認知してもらえない。保護者は「出る」ところに出ないと学校に隠蔽され、事実上「飼い殺し」にされてしまう場合も少なくなかった。何しろ下手すれば担任すら一緒になってイジメる事例も自殺の後に発覚するなんて珍しくもなかった時代だ。
浩さんの父親は仕事も忙しく、週休二日ですらない。子どもの相手をなかなかしてあげられなかった。そこで一時的に二年生の春に新潟県の母方の実家に預けることになった。
まるで日本の原風景のような長閑な光景が広がる。そこでのんびりと浩さんは過ごすことになった。
ここは過疎が進んでいて、高校生も当時は2、3人に過ぎなかった。散々イジメられて来たから、独りの時間は全く苦にならない。内気な彼も矢張り男の子で、虫取りに野原や森林によく出かけていた。
その年の8月、1人の女性と浩さんは知り合うようになった。
彼女は当時の浩さんから見ると、20代後半から30代前半ぐらいの若い女性のようだ。小柄で黒髪がつやつやとしていて、長くて色白のきれいな人だった。
虫取りに小径を歩いていると、彼女から親し気に話しかけて来たという。
「こんにちは。ボク、このあたりの子じゃないよね?夏休みでここに来たの?」
少しびっくりしたが、「うん・・・」と返事をした。それを彼女は察してくれたのか、虫かごに目線を向け、
「わあっ。いっぱい捕まえたのね。見せてくれる?」
彼は虫の話は大好きなので、得意になって色々と話す。すると彼女はうん、うんと微笑みながら、ゆったりと相槌をする。彼が話しかけるたびに彼女は微笑んでくれる。
「すご〜い。こんなに捕れたんだ。」
浩さんは入学以来他人に褒められた記憶がなかったので、嬉しかった。
その日から彼はこのお姉さんと一緒に遊ぶようになった。虫取りをしたり、川で遊んだり。待ち合わせはいつも川の近くのお地蔵さんの前。
このお姉さんの事を祖父母に話すと祖父からは
「ああ、隣集落の佐藤さんのところの娘さん・・・幸代(仮名)さんって言ったかな。東京の大学院に行き、今年の夏は帰って来ているのだろう。余り迷惑をかけたらいかんぞ。」
と言われた。
超過疎状態の土地で、よそ者は滅多に来ないから、それほど気にしていなかった。
お姉さんは不思議な人で、余り自分のことや家族のことは話さなかった。浩さんが訊いても全部当たり障りのないことを云ってはぐらかしていた。
でも浩さんの話は親身に聞いてくれた。学校でイジメられていて、母親はもういないこと、祖父母にすら言えなかった弱音や愚痴も聞いてくれた。そして言い終えると優しく慰めてくれた。
「お姉さんが僕のお母さんだったら良かったのに。」
と云うと、彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
ただ不思議な事があった。浩さんは彼女と知り合うようになってから、日増しに体調がゆっくりだが悪くなっていったのだ。浩さんにとって、彼女と会うことは最早生活の一部になっていた。会うのは毎日の楽しみだったので、会えないのがつらいから多少の体調不良であればいつのお地蔵さんの前に行ったものだった。
しかしそれも限度が来て、出かけられないほどになっていった。祖父母は心配し、浩さんを寝かしつけた。
とうとう浩さんは寝床で
「お姉さんに会いたい。お姉さんに会いたいよ。」
と駄々をこねた。仕方なく祖父は佐藤さんの家に電話を掛けた。話終えると祖父は焦った様子で
「浩、一体今まで誰と遊んでいたんだ。幸代さん、今年は帰って来ていないそうだぞ。その人の名前は、どんな人だ。」
・・・よくよく考えてみたら、あのお姉さんの名前も聞いていなかった。特徴だけ告げると祖父はまた急いで電話をし始めた。幸代さんの特徴を確認しているのだろう。
何をそんなに焦っているのだろうと思ったが、確かにここは超過疎地域なので、周囲は全員知り合い状態だし。知らない人がいることすら考えにくいことだった。だが子どもだった浩さんにはそれがよく分からなかったのだ。
結局・・・そんな若い女性はこの地域にはいない
と分かり、祖父母は不気味に思い、体調が良くなってもお地蔵さんのところに行き、お姉さんと会うのを止めさせられてしまった。
体調がやや回復し、彼は祖父の家の畑の裏で虫取りをしていると、あのお姉さんがひょっこりと現れた。
「浩くん、こんにちは。」
浩さんは嬉しくてまた虫取りをして遊んだ。
不思議な事が起きた。なぜか分からないが、浩さんは祖父に問い詰められたのに、この時もお姉さんの素性を一切聞いていなかった。また視界の範囲内にいるはずなのに、祖父母はこの女性の存在に気付いている様子がない。
その夜、思い出したように訊いてみた。
「なんで昼間あのお姉さんと虫取りしていたのに、何も言わなかったの?」
2人は青ざめ始めた。
「何? 昼間お前は独りで遊んでいたじゃないか。じいちゃんもばあちゃんもお前が遠くに行くのではないかと心配してずっと見ていたぞ。」
顔がどんどんこわばっていく・・・。
祖父は父に電話し始めた。話がついて電話を切ると、祖父は
「浩、悪いけどお前は文太(仮名、浩さんの父)のところに帰れ。もうここにいてはいかん。」
といきなり言って来た。
これには浩さんは絶望した。話をまともに聞いてくれた他人はあのお姉さんだけだったし、いつも慰めてくれたし、何より一緒にいて楽しかった。そんな時間ももう来ないのかと思うと辛くなった。
駄々はこねたが、結局一週間後に帰らされることになった。それまで家を一歩も出るなと言われた。最後の日、べそをかきながら縁側で蹲って父親の迎えのクルマを待っていると、あのお姉さんがひょっこりと現れた。
この時になると浩さんはおかしいと思いつつも、恐怖など微塵もなく、嬉しかった。
「浩くん、どうしたの?」
とべそをかいて泣いている彼を察して優しく話しかけて来た。もう帰らなくちゃいけない、お姉さんとも暫く会えないんだ、と伝えると彼女は淋しそうに、
「・・・そうなんだ。」
少し彼女は考えて、
「・・・でもそれがいいわ。」
と意味深なことを云うと、傍に来て、肩に優しく触れ、にこやかに
「わたしは遠くからあなたのことを応援しているわ。うん・・・大丈夫だからね。」
これまた意味深に慰めてくれた。
最後に浩さんは
「ここに来たら、またお姉さんに会えるかな?」
と聞くと彼女は俯いて悲しそうに首を横に振った。でも直ぐにいつものにこやかな顔に戻って、
「お別れね。浩くん。残念だけど。・・・握手しよう。」
浩さんは彼女と最後に手を握った。温かく、柔らかい手だったが、力強かった。彼女は
素敵な笑顔で、
「元気でね。バイバイ。」
と手を振って別れた。帰京後、彼は元気を取り戻して学校にも行くようになった。イジメにも遭わなくなった。
浩さんが大人になるまでの間にこの家には何度と無く行っているが、あのお姉さんとは以後一度も会っていないという。この土地は子どもの神隠しが多発したところだったという。どうやら友だちが少ない子ほど神隠しに遭いやすいのだそうだ。更に神隠しに遭う前に決まって原因不明の体調不良に見舞われるのだとか。それで匿うことにしたというのだ。
結局彼女がどこの誰なのか全くわからずじまいだった。
幽霊かもしれない
神隠しの使いかもしれない
神隠しから守ってくれたのかもしれない
他所から来た、ただのきれいな優しいお姉さんだったのかもしれない
不思議な体験を聞かせて頂いた。治安が悪くなった今ではちょっと怖い話だが、浩さんは怖いという感じは全く無く、最後に手を握った時も人間としてのぬくもりも感じていたという。
とうとう件の若い女性の正体は分からない。それゆえ上手くまとまりがつかないが、最後まで御覧頂きましてありがとうございました。
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