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2019年12月07日20:57

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ポタリストの記録・【北相模ポタリング・その3】

■お見舞い■
 
 とある医療施設にある建物に入ったここは津久井湖を一望出来る。

 嘗て相模湖が職場だった頃、このあたりから通えたらどんなにラクちんだろうと思ったものだ。施設にいる方は一様に穏やかだ。ヘルメットをぶら下げ、ラフな格好で入る輩は私ぐらいでしかない。

ここまで読まれた方は「なあんだ、高齢者の施設に見舞いか。」と思われたかもしれない。確かに見舞いは事実だが、相手は高齢者ではない。

若年性認知症を発症した人である。

若年性認知症は64歳までに発症したものだが、発症者の平均年齢は51歳。晩婚化が進んでいる日本ではこの歳だとまだ子どもが大学生であることが多々あり、最もおカネのかかる時期のはずだ。一家の大黒柱を直撃するのだ。彼もまた52歳で発症した。若年性としては決して早すぎる発症年齢ではない。厚労省の調査では若年性認知症は約4万人。少なくは無い数字である。

グループホーム(注1)のユニット(注2)では最も若いメンバーである。が、発症前の彼とは別人ともいえるほど老けていた。最初は物忘れから始まる点は高齢者と一緒だが、次第に酷くなっていった。鬱病だと思って医者に行き、医者から抗うつ剤を処方されたが、効かず。やっと脳ドックを受けて判明した次第である。矢張り病気よりも精神的ショックが酷かったという。

本来若年層認知症の方が早期発見、治療が望まれるが、日本は依然として働き盛りの者に対する病気への配慮が少ない。何しろ40代、50代の引きこもりの問題とて、若年層が罹るものと見做し、見て見ぬふりをし続けがゆえに問題が顕在化した。今までの泥縄的な方法の「前科」からすると、若年性認知症も同様のケースになる可能性が高い。彼を始め、若年性認知症の場合予後が心配である。

グループホームの建物の中はユニットごとにゆったりとしたスペースが与えられている。壁も緑系やウッディなもので、温もりのあるデザインとなっている。嘗ての「収容所」のような印象は鳴りを潜めた。措置制度(注3)から地域包括ケア(注4)に変わった恩恵だろう。だが残念ながら認知症は現代の医学では完治することは出来ず、進行を遅延させるのが精いっぱいである。この点も彼を酷く落胆させたという。

しかしながらそれでも彼はまだマシな方かもしれない。

現実には物忘れが酷くなった、とご自分を誤魔化して働き続けている人も少なくないと聞いたことがある。

■認知症を引き起こす者の正体■

ここではサイクリングが主なテーマなので詳しくは触れないが、認知症を引き起こす者の正体は段々と分かって来た。これまで認知症を引き起こすのはアミロイド・B(ベータ)タンパク質だった。特に彼のように糖尿病を元々持っていた人は一層発症しやすい(通常の健康な人の発症率の4〜5倍)。なぜかといえばインスリンもこのタンパク質も分解する酵素は同じ。糖尿病の場合、インスリンの分解が優先される為、どんどんこのタンパク質が蓄積される。この蓄積によって、脳内の海馬細胞が本来の機能を果たせなくなり、死滅していく。その結果神経細胞が無くなり、認知症に至ると考えられてきた。

しかし今ではアミロイド・Bタンパク質も勿論だが、タウタンパク質が主犯と目されるようになって来た。

タウタンパク質

それ自体は普段は認知症では無い人の体内に普通に存在する。神経細胞を支えるいわば足場パイプのような役割を担っている。ところが何らかの事情でこれが異常にリン酸化すると、遊離してしまう。遊離するとやがてタウタンパク質同士が固まり、神経細胞を壊してしまう。伝達が上手くいかなくなり、神経細胞が機能不全となる。神経細胞の先端にはシナプスと呼ばれる情報伝達の役割を果たす糸状のものがあるが、それも脱落してしまうのである。脳内にはミクログリアという白血球の単球の細胞が常に免疫の役割を果たしている。修復を手伝う、或いは死んだ細胞を食べて処分することも行なう。だが、タウタンパク質によってバラバラになった神経細胞に過剰反応して攻撃するようになる。神経細胞の壊死が進み、認知症が進行、臓器不全も引き起こし死へと向かうのである。今後はタウタンパク質の蓄積が引き起こす作用を抑制するところに予防が置かれることは間違いない。

■就職氷河期世代の若年性認知症はきっと多いはず■

医学の進歩が先か、認知症の進行が先かという問題に今後は直面してくるかもしれない。

やや暗澹とした気持ちになりつつ、施設を後にした。楽観視はとても出来ないのは私が就職氷河期世代ということもあろう。この世代の社会に対する見方をひとことで言えば

「渡る世間は鬼ばかり」

である。自己評価も低く、会社なんぞこれっぽっちもあてにしないで自分のことは身体に過度な負担が掛かってでも全て自分でやろうとする人が多いから、バブル世代、ゆとり世代から一目置かれることも多々あるものの、彼らに対して気を許さない人は多い。そもそも我々の世代の多くは彼らを同じ日本人とは思っていない。

恨みつらみ、因縁というものは人生で最も重たいストレスのひとつだ。それを生涯抱えて生きるのは余程強くないと出来ない。きっと我々の世代の若年性認知症患者は潜在的には相当多いはずである。何しろ好景気に就職出来なかったというだけで、三菱総研の調査では年齢で線を引いた場合、バブル世代との年収格差200万円もある。社会、行政なんぞ信用していない人も同級生には少なくないのだ。相当ストレスから若年性認知症を誘発し、罹っている人は多いのではないかと心配である。しかも社会、行政に対する不信感は根強いから、健康診断で限りなくクロに近い結果が出たとしても、治療に応じない人が多いかもしれない。

■来年は川尻八幡宮もお宮参りに検討■

R411を進むと道志方面から来たと思しきローディーの一団がいた。同じ方向であれば先に行かせる積りだった。ポタリングとはマイペースのサイクリングであり、追いまくられるものではないからだ。目的が前にいる人をぶち抜く事で快感を覚える走り方とは正反対である。

一団は津久井湖北岸に行ったので、R411を進むことにした。津久井湖までは一転下り坂なので苦にならない。しかもこの日は湖上祭だったこともあり、所謂ノロノロ状態だったので、後続の乗用車に追いまくられることもない。

湖の東側はなだらかな上り坂。相変わらずノロノロ。ここは最早慢性的としか言いようがない。私が相模湖の職場にいた時も同様だった。それで仕方なく配達の時は北岸の信号のない、夜はちょっと怖い道を通ったものである。311の時もこの道を通って退勤した。周囲は崖崩れも恐れもあるから行かない方が良いぞと忠告してくれたが、この道を通った。なお、津久井、相模湖周辺で日赤の病院の前以外は信号機も停電していた。ならばなおのこと、崖崩れが無いとしたら、山道を走った方がより安全である。

旧城山町の住宅地を抜けて進んだ。途中八幡宮が見えて来た。鳥居からでは果たしてお宮の名は分からない。七五三の子どもが出て来るから地元では有名な名刹なのだろう。それゆえ一応は参拝した。幾ら貧乏人の私でも神仏を受け容れる余裕はある。ここまで事故が無かっただけでも感謝すべきだ。

直進すれば来た道に出るが、右折した。高尾街道に出るはずだが、途中懐かしいスーパーセンターがあった。アルプス系のコピオ城山である。25年ほど前にアルプスが手塩に掛けて出店したお店だ。しかし嘗ての賑わいはない。なぜだろうか。

とりあえず、こちらのパン屋でパンを購入して遅い昼にした。風水、奇門遁甲の面でそこが凶方位であったとしても、南西の方角は野菜、パン食は推奨されるのである。

アルプスは嘗てスーパーセンターを作る構想を立てていたが、今やローカルなスーパーに甘んじている。それもそのはず、傍にエコスが出来たからだろう。

なだらかな下り坂。T字路前に鳥居・・・。

先程参拝した神社が実は土地の氏神であることを知った。帰宅後川尻八幡宮という名も分かった。

しかもこちらの神社は何と鶴ヶ丘八幡宮の注連縄も作っているという。それほどの場所らしい。以前令和の時代は八幡宮と不動尊が最もお勧めだと書いたが、ならばいかない手はないと思った。
 
なぜ県道近くの神社が鎌倉殿(源氏)から見たら、鎌倉の精神的な支柱のひとつである鶴ケ丘の注連縄を作るところになったのだろうか。

それは地理的な理由もあろうかと思う。

境川は嘗て相模と武蔵を分けていた。しかもお寺、神社は地域住民のコミュニティの場という意味もあるが、戦時になると本陣が置かれることはよくある話だ。鎌倉幕府とすれば川尻八幡宮は北方から攻めて来る勢力の防衛ラインのひとつにもなるし、仮に武蔵が陥落した場合、そこを足掛かりに奪回を狙う事も想定していたかもしれない。

時代が下って後北条氏(戦国大名の北条氏)は伊豆から手堅く関東を窺ったが、史書には詳しく述べていないものの、矢張り相模伊豆程度で満足しているような大名ではないから、ここから武蔵の大地を窺った事は容易に想像出来る。しかも背後には津久井城があった(勿論当時は津久井湖は存在しない。津久井城跡へのアクセスは津久井湖南岸から散策は可能)。

特に3代氏康の代で北条氏は関東の占有権を獲得したと言っても良いほど拡大した。

川尻八幡宮は地味だが、ちょっとそのような想像を掻き立てる名刹である。自宅から見て南西の名刹として令和時代を通じて親しみたい名刹のひとつとなった。

往路はそのまま直進、橋本市街地から相原駅前を通り、八王子市の東京造形大前の裏御殿峠を抜けて片倉、そして浅川へ。来た道を帰った。

往復で約67kmのライドだった。

最後まで御覧頂き、ありがとうございました。

(注1):小規模多機能介護施設。認知症の人専用の施設で、原則はその地域に住民票がある人しか出来ない。

(注2):班のこと。

(注3):申請者が各地方自治体に申請し、受理し、審査後、各地方自治体が一方的に施設を決めていた制度。

(注4):地域包括ケア:地域における医療・介護の総合的な確保、推進を図る為のシステム。平成26(2014)年に改正された介護基本法のトピックのひとつである。

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