このコーナーを読まれた方の多くが恐らく感じているかもしれない。迷宮入り事件には2つあり、今の段階では日本の警察の権力を越えているため、解決不能事件。世田谷一家惨殺事件、八王子スーパーナンペイ事件、佐久間奈々さん、山本美保さん失踪事件などが典型的な例だ。その一方、足利事件・・・特に群馬県太田市パチンコ店幼児失踪事件、三陸海岸17歳女性殺人事件などは警察が解決する気が無い(ように見える)ことで一向に解決まで進みそうにない、警察の怠慢によって解決出来ていない事件の典型的な例と言えよう。
残念ながら今回ご紹介する事件は誰の目にも後者であろう。
流石に20年も経つので、事件の慨要を見てみたい。
■事件慨要
◆平成9(1997)年6月13日、三重県明和町山大淀の県職員の長女で県立松阪工業高校に通う北山結子(きたやま ゆうこ)さん(当時17歳)が行方不明となる。
◆北山さんは学習塾のアルバイトをしていた。20時に塾が終わり、クルマで迎えに来た母親に
「友人・A子のところに一緒に中間試験の勉強をしに行く」
と言って断わった。
◆母親と別れてから凡そ200mほどのところに公衆電話があり、そこからA子さんに
「後10分ほどで着くからね。」
と通話記録が確認されている。これが20時30分。
◆23時頃、結子さん宅にA子さんから、「約束の時間が過ぎているのですが、まだ結子さんが来ません。」という電話が掛かって来た。
◆結子さんの両親とA子さんとで手分けして捜すが、見つからず。
◆14日、午前2時、一同は警察に通報した。
◆以後・・・全くの消息不明。
■超重要参考人の逮捕に成功したのに・・・。■
彼女の持ち物だった自転車、鞄は見つかっていない。
行方不明になってから、A子さんを始め、結子さんの他の友だちも結子さんのポケットベルに何度も鳴らしている。
「どこにいるの?」
と。しかし全く応答が無かった。結子さんの友だちは恐らく結子さんのポケベルは鳴りっ放しだったはず、と語った。彼女たちはこの時点で結子さんが何らかの事件に巻き込まれたと確信し、途中からは電話番号は入れないことにした。
が、敢えてB子さんだけは電話番号を入れ続けた。
16日、B子さんが自宅の電話番号を送ると、着信があったが、取ると無言電話だった。何度か無言電話が掛かって来た後、B子さんが話しかけると、先方から肉声があった。中年の男性からだった。結子さんの居場所を尋ねると、知らないという返答。ポケベルを拾い、そこに書かれていた番号を掛けただけ、と語った。
だが、次の電話と16日の電話とは食い違っていた。同じ肉声で、
「結子さんを駅まで送ったが、おカネが無いので貸した。代わりにポケベルを預かった。会っても良い。」
と言うと、B子さんと結子さんの母親はこの人物と打ち合わせた。
警官たちが囲む中、男が指定して来たショッピングセンターに来たが、男は姿を出さなかった。
25日の夜、
「ポケベルを返す、取りに来てくれ。場所は三雲町(今の松阪市)のバス停××だ。」
という電話をB子さんが受け取った。B子さんと結子さんの母親はそれを受け取りに出向いた。今度はちゃんとその場所にあった。結子さんのものに間違いなかった。
だが、このポケベルには不審なところがあった。
彼女は高校3年生になってからは金色の鎖のついたハローキティのキーホルダーをポケベルに下げて阿歩いていた。が、発見時にはこのキーホルダーは無くなっていた。
27日の20時、男から「ポケベルはちゃんと受け取ったか?」という電話が掛かって来た。県警は逆探知に成功。公衆電話前にいた自称露天商の男、46歳を逮捕した。
電話の声とこの男の声紋が一致し、更に結子さんの物と家族が断定する、白地に青い柄のハンカチを持ち歩いていた。逮捕時、夏だというのに、手袋を嵌めていた点、不自然なところがあったという。
この男は性犯罪の前科があり、過去に婦女暴行などで12年も服役していた。
過去の犯行手口もクルマで女性をぶつけて、転倒した隙に暴行を働いた上で金品を奪うといった方法。この男のワゴン車の左前は凹み傷とウインカーのプラスチック部分が破損していたという。
更に決定的な証拠がクルマから出て来た。
◆結子さんの漢和辞典
◆彼女の友人の連絡先
◆結子さんの毛髪、約200本
◆結子さんの身体の繊維片
◆6月13日以降、伊勢二見鳥羽ライン(注・今年3月から無料)の高速料金の領収証
目撃証言も出て来た。
彼女の連絡が途絶える13日20時30分過ぎ、男のワゴン車と同一の色と車種が公衆電話に横付けするのが目撃された。
結子さんの友人達も、白いワゴン車に付け回された、怖いと言っていた、と証言した。
県警は男が同様の手口で、公衆電話で彼女をはねて、転倒したところを自転車と共に連れ去ったと見ていた。
ここまでくれば解決は時間の問題かと思われた・・・しかし。
何と7月18日、男は結子さんが消息不明で証拠不十分ということもあり、釈放されてしまったのだ。信じ難い話だ。
■再調査を期待したい■
それでも諦めずに彼女のご両親、親友たち、町のお巡りさん達は今でも情報提供を呼びかけるビラの配布を行なっているという。これだけ証拠が揃っているのだから、本来そのような必要は無いはずだが、痛々しい話である。
ここまで証拠が上がっていながら、急転直下、釈放とはどういうことなのだろうか?通常、ここまで来たら、後は家宅捜索令状を取り、この重要参考人の自宅の捜索を徹底的に調べ上げるのが常ではないか。今からでも遅くは無い。年数を考えると・・・結子さんが生存していない可能性も高いが・・・徹底的に調べ上げるべきであろう。もう二度と、こんなおぞましい事件は起きて欲しく無い、共通の願いに近づくためにも・・・。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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