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2020年05月31日21:53

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ドゥーチュィムニー「時代を映し出すプロテストソングの変遷 第3回 アメリカ同時多発テロ事件から東日本大震災、そしてこれから」

 「プロテストソング」と言えば、あなたはどんな曲を思い浮かべるだろうか。反戦、政治批判、差別問題、反原発、いじめ、貧困……あらゆる政治的抗議のメッセージを含む歌がプロテストソングと呼ばれるものだ。



新型コロナウイルスのパンデミックにより世界中が外出自粛を余儀なくされる状況の中、杏による加川良の「教訓I」の弾き語りカバーが話題を集めたり、安倍晋三首相が星野源が発表した「うちで踊ろう」と共に優雅に自宅で過ごす姿を公開したことで「音楽の政治利用である」という批判が多く寄せられたりと、改めて“音楽と政治”が注目される今。時代と共に歌われるメッセージも音楽性も異なるプロテストソングは、日本においてどんなきっかけ生まれ、広がってきたのか。小野島大によるこの連載では、フォークソング、ポップス、ロック、ヒップホップなどさまざまなジャンルにおけるプロテストソングの歴史を、時事問題を交えながら計3回にわたって紹介している。最終回となる第3回では2000年代から現在にかけてのプロテストソングをフィーチャーする。

なお記事の最後には、小野島大が制作したSpotifyプレイリスト「プロテストソングの歴史」も公開する。

■ 9.11以降の曽我部恵一の歌、桑田佳祐がソロで表現した風刺
2000年代に入ると、ニューヨークでアメリカ同時多発テロ事件が起こり、アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻やイラク戦争の勃発と時代のモードが一気に切り替わる。これに大きな衝撃を受けたアーティストは数多いが、曽我部恵一もその1人だ。2001年の暮れにリリースされた「ギター」は、サニーデイ・サービス解散後初のシングルだが、この中の「テレビではニュースが流れている 戦争にはちょっと反対さ ギターを弾いている」という一節が反響を巻き起こした。なぜ「絶対反対」ではなく「ちょっと反対」なのか。9.11同時多発テロ、そしてアメリカ軍のアフガニスタン侵攻というニュースが世界を震撼させる中で作られたこの曲は、それまで政治的なタームを回避しながら繊細で美しい青春の情景を描いていた曽我部という優れたシンガーソングライターの内面に、その生活の端っこに、戦争という巨大な暴力が否応なく忍び寄ってきたことを生々しく描いている。それに戸惑いながらも、曽我部は徐々に変わっていこうとする。このあと、下北沢の再開発反対運動に触発される形で作られた「sketch of shimokitazawa」(2005年発表)を経て、曽我部の歌は社会性を帯び、「街の冬」「兵士の歌」(共に2012年発表)といったシリアスかつ感動的な社会派の楽曲に結実していくことになる。


2002年にはサザンオールスターズの桑田佳祐が「ROCK AND ROLL HERO」という社会性の強いソロアルバムを発表。これも9.11に触発された作品だろう。「ROCK AND ROLL HERO」とは桑田にとってアメリカのことを意味しているという。タイトル曲「ROCK AND ROLL HERO」はアメリカに追従するばかりの日本国政府を、アメリカ文化に憧れてきた自分を皮肉や自虐交じりに風刺する。「援助金を出しても口出せぬ 弱気な態度は世界No.1」という、いかにもこの人らしいパンチラインが効いている。「どん底のブルース」はもう少しシリアスに、国家の歪みや社会の矛盾を突いていく。どちらも時事性の強い内容だが、今となっては、当時は何を表していたのかピンとこないかもしれない言葉も、時の流れと共に違う意味を持ったりする。そこが桑田の非凡さだろう。



だが、その後、サザンオールスターズがリリースした「ピースとハイライト」(2013年発表)や、同曲のNHK「紅白歌合戦」でのパフォーマンスを巡る騒ぎには、マスなセールスを求められる国民的ビッグアーティストが、政治的あるいは社会的な視座を持った歌を歌うことの難しさを改めて思い知らされた。この曲を収めたアルバム「葡萄」のボックスセットのライナーやインタビューで桑田は、各楽曲の歌詞の意図や背景やテーマについて繰り返し語っている。曲解や誤解も含めた自由な解釈を許容するのがポップミュージックなのに、定型を拒否する自由な表現を身上とするのが桑田なのに、つまらない抗議デモや嫌がらせのようなバッシングを受け、音楽の自由なイマジネーションを損なうことを承知の上で絶対に誤解されないよう、歌詞の意図を事細かに説明しなければならなかったのではないか。日本一ビッグなロックアーティストがそこまで追い込まれてしまったことは、少なくない数のメジャーアーティストたちを萎縮させる結果になったのではないかと私は思っている。


ポップシーンのプロテスタントソングと言えば、Coccoの「ジュゴンの見える丘」(2007年発表)も忘れがたい。米軍普天間飛行場の辺野古への移設を巡って、ジュゴンが生息する沖縄の海の美しい自然が破壊されていくことへの恐れと哀しみ、痛み、怒り、祈りが歌われている。ここでも日米の歪んだ関係性がクローズアップされる。辺野古問題は2020年の今もまったく解決されておらず、リリースから13年が経ってもこの曲は依然もっともアクチュアルで先鋭的なプロテストソングであり続けている。



■ 9.11がヒップホップシーンに及ぼした影響
9.11の影響はヒップホップシーンにも及ぶ。それまで数少ない例外を除けば政治性とは距離を置いていたアーティストたちが、コンシャスな、あるいはポリティカルな内容の作品を発表し始めたのである。その代表格と言えるのがスチャダラパーだろう。それまで徹底してノンポリな姿勢を貫き、コンシャスなラップとは一線を画していた彼らは2004年リリースのアルバム「The 9th Sense」に、政治的・社会的な内容の楽曲「Shadows of the Empire」を収録。持ち前のユーモアは抑えめに、アメリカ帝国主義 / 高度資本主義を批判している。アルバムには格差社会を批判する曲もある。その後もスチャダラパーは折りに触れて社会的な楽曲を発表し、反原発デモや安保法制に反対する渋谷街宣などにもカジュアルに参加するなど、リベラルなラッパーとしての地位を確かなものにしている。こうした変化は前述した曽我部恵一にも通じるものがある。


そしてDJ OASISの「キ・キ・チ・ガ・イ feat. 宇多丸&Kダブシャイン」(2001年発表)は、日本のポリティカルラップの金字塔とも言うべき傑作だ。天皇の戦争責任、従軍慰安婦問題、警察権力の横暴、政治家批判、戦後民主主義社会批判、テロリズム、アナーキズム、メディア批判……「右も左も危なっかしいぞ」と警告する。あまりに過激なリリックゆえ、発売中止となった。このシリーズは「社会の窓(キ・キ・チ・ガ・イPartII) feat. 宇多丸」(2001年発表)、「世界一おとなしい納税者(カモ) feat. 宇多丸」(2004年発表)へと続いていく。



ほかに、反戦・反レイシズム、汎アジア主義を訴えた般若の「極東エリア」(2000年発表)、鬼の自伝的作品「小名浜」(2008年発表)やポリティカルラップの傑作「スタア募集 feat. D-EARTH」(2008年発表)、内面化された政治を歌うTHA BLUE HERBの文学ラップ「未来は俺等の手の中」(2003年発表)、反環境破壊や反戦、反核、反人身売買、反レイシズムなどを扱ったOZROSAURUSの「RULE feat. F.U.T.O, JANBO-MAN from 風林火山」(2001年発表)、SEEDAの徹底した政治批判が込められた「Dear Japan」(2009年発表)、RUMIの秀逸な反レイシズムソング「銃口の向こう」(2009年発表)など、この時期ヒップホップの世界でも優れたプロテストソングが数多く生まれた。

■ 議論を巻き起こした「ずっとウソだった」
そして2011年3月11日、未曾有の大災害となった東日本大震災、そして東京電力の福島第一原子力発電所のメルトダウンという緊迫した事態の最中の4月7日未明、突然YouTube上に斉藤和義のヒット曲「ずっと好きだった」の作者自身による替え歌「ずっとウソだった」がアップされた。中身は原発の偽りの安全神話を振りまいてきた政府や東京電力など電力各社と、それに協力してきたマスメディアへの怒りに満ちたプロテストであり、なんの素っ気もない固定カメラ映像で、生ギター1本をかき鳴らしながらぶっきらぼうに歌われる。この時期さまざまなミュージシャンが震災をきっかけに作った曲は、人々を癒したり希望を与えるような歌が多かっただけに、このインパクトは強烈だった。当初は歌っているのが斉藤本人とは明示されなかったためにさまざまな憶測を生んだ。しかも動画がアップ直後に何者かによって削除され、ほかの誰かによって再アップされ……といういたちごっこを繰り返し、余計に騒ぎが大きくなって楽曲の存在が知られるという、いわゆるストライサンド効果もあって巨大なバイラルヒットになったのである。


しかもそれまで決してストレートに社会的な歌を歌っていたわけではない(ただし、「ずっとウソだった」以前の2000年に斉藤が発表した「青い光」は、反原発のメッセージを暗示している、とされる)斉藤のようなメジャーレーベル所属のアーティストが、こういうはっきりとしたプロテストソングを歌ったことでさまざまな軋轢があったことは想像に難くない。同じ年の9月、筆者はくるり主催の音楽フェス「京都音博」で斉藤のライブを観た。「ずっと好きだった」と「ずっとウソだった」をメドレーで歌い、喝采を浴びていたが、私の隣で見ていた原発賛成派らしい男がイヤミなヤジを飛ばし「音楽はいいんだけどなあ」と誰に聞かせるでもなくしゃべっていたのをよく覚えている。その男が本当に斉藤の音楽を好きだとは思えなかったけれども、そうして波風を立て、議論を引き起こし、人々に問題を考えさせるのが斉藤の狙いだったのだろう。その後、斉藤はさまざまなライブで「ずっと好きだった」と「ずっとウソだった」をメドレーで歌い、また中村達也とのユニットであるMANNISH BOYSでも反原発のメッセージソングを歌っている。この曲をきっかけに斉藤自身のアーティストとしての方向性も運命も変わったのである。「ずっとウソだった」は各地の反原発デモでも歌い継がれている。

■ 反原発を唱える坂本龍一、反戦を歌う元ちとせと七尾旅人
しかし、斉藤のプロテストに続いたのは主にインディペンデントなアーティストたちで、メジャーアーティストはほとんどいなかった、という事実は否定できない。数少ない例外が「NO NUKES」コンサートでも主宰を務め社会的発言も厭わない坂本龍一や、「NO NUKES」に何度か出演しているASIAN KUNG-FU GENERATION、the HIATUS、BRAHMANといった人たちである。また元THE MAD CAPSULE MARKETSの上田剛士のソロプジェジェクト、AA=は当初から反戦などポリティカルなメッセージを含む楽曲をいくつかリリースしているが、この時期東電や政府への批判を込めた「sTEP COde」(2011年発表)をリリース。サポートメンバーでもある金子ノブアキが主演したショートムービーは必見だ。

3.11以降の反原発、反政府デモはサウンドデモという形で活性化していった(サウンドデモそのものは、反戦デモという形で2003年ぐらいから行われている)。音楽とレイヴ、パーティと政治的プロテストがストリートで自然に融合した形である。そこでは新旧さまざまなプロテストソングが歌われた。前出のRUMIは2008年リリースの「邪悪な太陽」を「邪悪なXXX」(“XXX”は「放射能」を指す)とタイトルと歌詞を変えリメイク、さまざまなデモで歌っている。

太平洋戦争敗戦後70年の節目の2015年には元ちとせが「今こそもう一度、平和を真剣に考える年になってほしい」という思いを込めてカバーアルバム「平和元年」をリリースした。前述の中川五郎「腰まで泥まみれ」のほか「ユエの流れ」「戦争は知らない」「死んだ男の残したものは」といった、日本の平和運動の中で歌われ聴き継がれていた反戦歌の数々が新たなアレンジで歌われている。かつてのフォークシンガーは自らのオリジナルにこだわることなく、埋もれた名曲があれば発掘し、洋楽なら日本語詞を付けて、自分の歌として歌っていた。そういう意味でも元は60年代のプロテストフォークの歌い手たちの衣鉢を継ぐ存在なのかもしれない。


そして2016年には七尾旅人が異色のビデオアルバム「兵士A」を発表する。「近い将来、数十年ぶりに日本の戦死者となる兵士A」を主人公とした3時間におよぶ物語。第二次世界大戦に始まり100年後の近未来までを描く壮大なスケールの作品である。七尾は2007年に9.11同時多発テロをテーマにしたアルバム「911FANTASIA」を発表しているが、「兵士A」はそれを大きく拡張し日本の現代史に移植したものと言える。60年代フォーク以来の日本のプロテストソングの集大成という感もある力作だ。



■ 差別や偏見、政治や社会の矛盾を叫ぶラッパーたち
ラップの世界でも3.11の及ぼした波紋は大きかった。中でも最大の収穫は、田我流の「Straight Outta 138 feat. ECD」(2012年発表)だろう。ECDが参加した、怒りに満ちた反原発ソングの大傑作である。「138」とは田我流の出身地である山梨県笛吹市一宮町のこと。映画「仁義なき戦い」シリーズの松方弘樹や千葉真一のセリフをサンプリング、定番ブレイクのIncredible Bongo Band「Apache」をネタに、田我流とECDという異なる世代の2人が激しい怒りを叩き付ける。「言うこと聞かせる番だ俺たちが」とキラーフレーズを織り込み、「67年前のボロ負けで 終わったはずのあの戦争を 続けたかったやつらの夢 それが原発だ間違いねえ」というECDのラップは強烈のひと言だ。


Kダブシャインと宇多丸による「物騒な発想(まだ斬る!!)feat. DELI」(2014年発表)は、第二次安倍政権が始まり右傾化が顕著になった日本を憂い、憤った2人の歯に衣着せぬリリックが痛快だ。「何が絆だっての むしろ溢れかえるヘイター 明日は我が身なのに他人の痛みには冷淡 例えばアホなレイシストが愛国者を自称 ガキみてえな主張 味噌もクソも同じっしょ 世界中が失笑 てめえの民度実証」「ネトネト粘着 ウヨウヨ湧く」と、レイシズム、ネット右翼、腐った政治家などへの怒りが満ちあふれている。ポリティカルラップのお手本のような完成度の高い作品だ。



そして2017年の共謀罪の強行採決を受け、数多くのミュージシャンやアーティスト、作家や映画監督が、表現や言論の自由を毀損すると懸念を示したが、楽曲という形で真っ先に発表したのはSKY-HIだった。強行採決のわずか5日後に「キョウボウザイ」を無料配信。メジャーのポップなフィールドのアーティストという印象も強かっただけに、その勇気ある行動が大きな反響を巻き起こした。その中でもSKY-HIの楽曲「Name Tag」にフィーチャーされていたのが、韓国ソウルから来日し、大阪を拠点に音楽活動を続けるMoment Joonである。



今年リリースされた1stアルバム「Passport & Garcon」では、“移民者”としてのアイデンティティ、日本で感じるさまざまな差別や偏見、政治や社会の矛盾、韓国との社会的、政治的、文化的な摩擦と軋轢、徴兵経験などが率直かつ辛辣に語られる。日本社会の主流からこぼれ落ち迫害や搾取をされてきたマイノリティの思いを飲み込んだリリックは生々しい。日本の入国管理局とのやりとりに始まり、彼が日常に受けている差別と、彼女と過ごす時間のかけがえのなさを語る「KIX / Limo」(2020年発表)の、「飽きてるのは仮面 俺は常に本当に自分で居たいだけ」という言葉が突き刺さる。何よりも「Home / CHON」のラストは衝撃的だ。2020年最新のプロテストソングと言えるだろう。


■ 星野源「うちで踊ろう」の動きにみる希望
海外では一部の国で終息の気配があるものの、日本では一向にピークアウトの兆しも見えないコロナ危機。日々増加していく感染者数、外出自粛で閑散とした繁華街、休業が続き危機感を募らせるさまざまな事業者たち、仕事が途絶え生活の不安にさいなまれる人々。エンタテインメント業界も例外ではなく、ライブ興行を中心に回っている現在の音楽産業の構造は今後大きく変わらざるをえないだろう。アーティストの活動は、必然的に音源制作を中心にならざるをえない。その音源ですら、この時期発売予定だった新譜が次々と発売延期になり、先行きの見通しも立たない状況だ。

そんな状況下、アーティストはどうやって生き延び、音楽を届けてくれるのか。星野源の「うちで踊ろう」のようなケースは音楽の力と可能性を示唆したという意味で今後の希望を感じさせた。政治の混乱に人々の不満や不安は増すばかりだが、前述したように、そうした危機的状況だからこそ創作へのモチベーションが掻き立てられる場合もあるだろう。それがプロテストであれ、別の形であれ、マイナスのカードをプラスに転じるような優れた作品の登場を期待したい。

<おわり>

文 / 小野島大 
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