暴力には二つある。身体への暴力、そして心への暴力だ。本紙の企画「沖縄を語る」で、比屋根照夫さん(琉球大名誉教授)の視座にはっとさせられた。県民が心に刻んだ記憶の改ざんを「沖縄精神の深奥への暴力」と指摘した
▼比屋根さんは例に、歴史教科書「集団自決(強制集団死)」の記述を挙げた。日本軍による強制を削除する動きがあり、抗議する県民大会は復帰後最大の規模となった。事実を踏みにじり、歪曲(わいきょく)する理不尽さにあらがった
▼心への暴力は、枚挙にいとまがない。沖縄が日本の施政権から切り離され、県民が屈辱の日と記憶する4月28日を、政府は主権回復の日だとして式典を開いた。参加した国会議員らは万歳三唱までした。親が子を質草に独立しておいて、祝う神経も暴力的だ
▼名護市辺野古の新基地建設は、軍事力強化と民意無視、二つの暴力の合わせ技だ。普天間飛行場にない軍港や弾薬庫の機能を併設し、いくつもの選挙と県民投票で示された反対の意思は黙殺する
▼戦後沖縄の運動は、主に米軍による物理的暴力への抵抗だった。その過程で県民に譲れぬ一線が醸成され、心への暴力にも対峙(たいじ)する精神性が根付いたのだろう
▼きょうは非暴力を貫いたインドの独立運動家、ガンジーの150回目の誕生日。国連は非戦の人をたたえ、国際非暴力デーとしている。(吉田央)
ログインしてコメントを確認・投稿する