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2018年11月23日22:30

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ドゥーチュィムニー「沖縄県じゃない基地住民の話も聞け!」

 沖縄知事選が近づいている。
前回の翁長知事死去に関する記事でも触れたが、私が注目している選挙の争点はやはり辺野古基地問題だ。
私が沖縄の基地問題に関心を寄せるのは、私自身が神奈川で在日米軍の近くで育ったからだ。
多くの日本人にとって、基地問題は「沖縄固有の問題」だろう。
だが、実際には沖縄以外にも米軍基地は存在する。
米軍基地が最も集中しているのは沖縄で、在日米軍基地面積の70.38%を占めている。
次に集中しているのは青森県で8.98%、そして神奈川県の5.58%である。
基地の近くで育つというのは、それだけでも考え方や生き方に影響を及ぼす。
翁長氏により「後継者」として指名され、今回の知事選に出馬する玉城デニー氏のインタビュー記事でも、米軍人の父親のことや、基地近くでの生い立ちについて語られている。
こうした「基地」との関わりの深い生い立ちも、玉城デニー氏が政治の道に進むきっかけとなったのではないだろうか。
翁長後継・玉城デニー独占インタビュー 「僕の名前が出たんだと思うと、この上なく光栄」
私は今、アメリカの大学院に通い、仕事をし、家族を持っている。
国防総省があるエリアに住んでいることもあり、同僚には元軍人もいるし、知人、友人、クラスメイトにも軍関係者はいる。
日本でもアメリカでも「なんでアメリカに?」と聞かれる。
研究環境と言うのは大きな理由だが、アメリカに行きたいと思った本当のきっかけは、きっと子どもの頃からアメリカに抱いていた漠然とした憧れだと思う。
基地周辺住民の持つ米軍に対する憧れ
私にとって米軍基地や米軍関係者というのは子どもの頃から身近な存在だった。
基地が近くにあったから、知人にも親族にも米軍関係者はいた。
日本人の父親とフィリピン人の母親を持ち、お母さんの再婚相手は米軍人で、基地内に住んでいる友達もいた。
米軍人と結婚して、横須賀基地内に住んでいるという知人もいる。
父親が米軍人で、日本人の母親を捨てて米国に帰ってしまい、日本人夫婦に養子に出された、という知人もいる。
人生で最初の英語の先生は、米軍人の夫に付いて日本に来たアメリカ人女性だった。母が基地内の彼女の家を訪れ英語を教わるのに付いて行っていたのだ。
また別の英語の先生は、米軍人の父親と日本人の母親を持つ人だった。
米軍人ではなく普通の日本人だが契約社員として米軍基地内で働いているという人もいる。
米軍人と結婚してアメリカに移住した日本人のクラスメイトもいる。
日本でハロウィンがはやるずっと前から、米軍基地内に遊びに行って「トリックオアトリート」と米軍人の家々を回るのは、子ども時代の恒例行事だった。
基地近くに住んでいれば、米軍関係のエピソードにはことかかない。
軍服に身を包んだガタイの良い米軍人の姿は子どもの目にはとてもかっこよく映った。
街で気軽に「ハロー」とか「ハウアーユー」などと声をかければ、気さくに答えてくれる存在でもあった。
米軍基地、米兵、米軍関係者というのは、私にとってアメリカとの最初の接点であり、アメリカに対する漠然とした憧れを持つきっかけを与えた存在である。
だが、何も知らない子どもだった頃は純粋な憧れの存在だったのが、成長するに従いその負の部分が気になり始めた。
米軍がかっこいいだけの存在ではないと気づいた少女時代
私が小学五年生の時に起きた沖縄の米兵少女暴行事件は、被害者がその当時の私とほぼ同い年だったこともあり、米兵や米軍がただかっこいいだけの存在ではないことに気づくきっかけになったように思う。
私が中学生になった頃にレバノンのアメリカ大使館爆破事件が起こり、高校生の時に911同時多発テロが起こり、それまで自由に出入りできていた米軍施設は周囲を守るように高いフェンスが建てられ、武装した護衛が立つようになり、自由に出入りできなくなった。
それは近所の友人から、ある日突然、お前はテロリストだ、敵だ、と言われて敵視されるような違和感だった。
たまにではあったが、夜でもジェット機の音がすることもあったし、大きなヘリコプターの音がすることもあった。
それが、米軍関係のものなのだろうということに気づき始めた。
それまでは身近に憧れさえ感じていた米軍というものが、アメリカが世界で繰り広げる戦争、侵略といったものと切っても切れないものであることを、身に染みて感じるようになったのである。
高校も大学も、米軍基地があるエリアを通る電車を使って通学していたので、米兵に遭遇することもしばしばあった。
ちょっと遅い時間になると、酔っぱらった米軍人から卑猥な言葉をかけられるなどというのも珍しくなかった。
それでも、私の中でアメリカや米軍する憧れは完全には消えなかった。
だが、やがて私は自分の中にある、憧れの感情そのものを疑うようになった。
それは私が大学、大学院で植民地研究という学問分野に触れたことが大きい。
朝鮮植民地研究を通じて、在日米軍もまた植民地支配の一形態であることを実感する
色々な偶然やミーハーな動機が重なり、大学で韓国語を学び、韓国に留学し、日本に戻ってからは大学院で朝鮮近代史、それも植民地に関する研究をしていた。
日本の関わった植民地について広く学んでいたので、朝鮮のみならず沖縄や台湾についても学んだし、アメリカをはじめとする欧米諸国の植民地主義についても深く学んだ。
植民地主義というのは物理的な影響よりも、長期的に植民地を蝕む文化的、精神的影響の方が深刻である。
宗主国の文化、慣習、常識、経済、軍事力、生活様式、美的感覚など、ありとあらゆるものが「より進んだ国、素晴らしい国のもの、力の象徴」として、植民地に生きる人々の思考や感情や判断に影響を及ぼす。
白人的な顔立ちを美しいと思うのも、西洋的な文化や生活様式に憧れて模倣するのも、明治以降、西洋の列強諸国が「宗主国」のような立場から、日本に対する多面的な影響を及ぼした結果である。
アメリカ人(西洋人)男性と日本人女性のカップルは多いのに、その逆が殆ど無いのも植民地主義の延長線上の事象だ。
ジャポニズムやオリエンタリズムがもてはやされていた近代ヨーロッパでは、「ヨーロッパ的ではないもの」は性的対象、弱者、導いてやるべき劣った存在、子ども、少女、女性として描かれ、消費されていた。
そして、弱く愛でる存在ではない「ヨーロッパ的ではないもの」は敵、人間以下の存在、矮小で醜い化物として描かれていた。
ハリウッド映画でのアジア文化やアジア人女性の描き方は、いまだにその派生版でしかない。
西洋人男性が日本人女性とロマンチックな関係を結ぶとき、そこには植民地的な影響が見え隠れする。
多くの欧米人男性にとって、日本人女性とは、消費し、搾取しても何の咎めを受けることも無く、自分たちに牙を向けることさえできない弱く矮小な存在なのである。
そして、これは日本とアメリカの関係性そのものでもあり、日本と沖縄の関係性そのものでもある。
植民地研究を通じて、国と国との権力関係、植民地が宗主国の社会の在り方にいかに影響されるのかといったことを考えるうちに、日本はアメリカの植民地のごとく蹂躙され続けてきたということを実感するようになった。
歴史的事実としてアメリカに占領されていたとか、アメリカは世界中で戦争しているとかいったことを知っていることと、自分が慣れ親しみ、憧れさえ抱いていた存在が、まさに今現在も世界中で暴力を振るい続け、植民地主義支配者のごとき力を振るう存在であることを、自分の経験も照らし合わせて実感するのとでは、ショックの大きさが全然違う。
植民地主義、在日米軍、米兵といったものが自分の中で一つに繋がったとき、私は何かに裏切られたような気持ちになった。
さらに、日本と沖縄の関係を植民地研究という視点から学ぶなかで、本土の日本人そのものが、在日米軍や米兵が暴力の象徴であるのと同じように、沖縄にとっては暴力の象徴であるのだということにも気づいた。
戦後直後、長期にわたる占領が日本人を刺激し、旧軍部が蜂起することを危惧していた米軍は本土からの早期撤退を決めたが、その代わりに当時すでに米軍の支配下にあった沖縄をより大々的に占領することを決定した。
そして、この決定について、1947年にマッカーサーは「沖縄人は日本人ではないので、この決定について怒る日本人はいないだろう。」と語っている。
マッカーサーのこの一言には、日本、アメリカ、沖縄の関係のすべてが集約されている。
アメリカは日本を支配することを何とも思っていなかった。
本土からの撤退は、より安全かつ容易に日本に対する軍事的影響を行使しつつ、資本主義陣営を守るための合理的な決定に過ぎなかった。
そのために沖縄を犠牲にすることを日本もアメリカも何とも思っていなかった。
アメリカは日本人が沖縄のことを「日本ではない」と思っていることを理解していたからだ。
基地問題は沖縄の問題ではなく、日本の問題だと認識しているか?
植民地研究を通じて、日本とアメリカ、西欧諸国と非西欧諸国の「植民地と宗主国的関係性」について考える中で、米軍や米国に対する漠然とした憧れのようなものは薄れていった。
そして、アメリカに来て、アメリカ国内の人種関係や人種的序列構造を目の当りにして、ますますアメリカと日本の植民地主義的な関係に幻滅した。
日米関係が植民地主義的性格の上になりたつという事実を自覚したうえで、アメリカにNOを突き付けられるようになる以外に、この従属的な関係性を変える道は無い。
翁長知事は、日本、米国、沖縄の植民地主義的関係性を自覚したうえで、「宗主国」である日本政府、その日本政府の「宗主国」であるアメリカと交渉してきたのではないだろうか。
だが日本政府はその声に耳を傾けることもなく、真摯に対応することもなかった。
私にとって、在日米軍というのは自分のアイデンティティと切っても切れない身近な存在である。
在日米軍と言うのは米軍による日本の植民地支配の象徴であり、アメリカが世界で繰り広げる戦争と暴力の象徴である。
だがそれを知っていても、私の心の奥深いところに刻み込まれたアメリカや米軍に対する憧れや親しみといったものを完全に拒否し、拒絶し、否定できるほどの強い心を、私は持っていない。
私の中にある、米軍やアメリカに対する、憧れや親しみのような感情を、私は憎んでいる。
自分たちを蹂躙し、蔑み、支配する存在であることを知りながら、自分たちを守り導くようなその力に憧れてしまう。
これこそ、植民地メンタルだ。
だがそれでも、子どもの頃から刷り込まれた憧れの感情が消えてしまうことはない。
その事実が、悲しくも苦しくもある。
米軍基地が周辺の住民の生活や考え方にどんな影響を及ぼすのか、良い面も、悪い面も見てきた。
沖縄の外で、在日米軍を身近な存在として育ったからこそ思う。
基地住民だけに「植民地」の負担をさせないでほしい。
日本人の多くは基地問題といえば沖縄、沖縄と言えば基地問題と考えるだろう。
だが、沖縄以外の基地周辺住民として、在日米軍基地問題は日本人全体で考えてほしいと願う。
神奈川県、それも横須賀や横浜のように人口密度が高くても、米軍と共存をしてきた地域はある。
米軍基地が沖縄でなければならない理由はない。
米軍基地が沖縄に集中している理由は、本土の日本人の抵抗を危惧した米軍が、日本人が日本人だと思っていない植民地沖縄に目を付けたからにすぎない。
つまり、本土の日本人が沖縄の人々を自分たちと同じ日本人だと認識していると当時の米軍が考えていれば、そもそも沖縄に米軍が密集することも無かったのである。
沖縄・日本・米国の間の植民地主義的な関係性の上に在日米軍が成り立ってきたこと、沖縄以外の基地住民も何十年も米軍と共存し続けてきた事実を考えれば、米軍基地問題を沖縄だけの問題だけと考える方こそ無理がある。
米軍基地問題は沖縄の問題ではない。
日本の問題である。
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