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2017年09月10日22:34

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ドゥーチュィムニー「「日本人よー。早く気付いてほしい」高江から見えた“沖縄”というジレンマ」

 地元住民らの反対運動が続いているにもかかわらず、7月から新たなヘリパッドの運用が始まった、沖縄・高江。ただでさえひどかった騒音はさらに激化し、住民たちは怒りを膨らませている。本土機動隊員の大量派遣に「土人」差別発言、記者の一時拘束や反対運動リーダーの不当な長期勾留…… さまざまな問題がニュースとなった米軍ヘリパッド問題の顛末を、地元記者が詳細に記録したルポ『国家の暴力』(朝日新聞出版)が8月30日に発刊された。著者の阿部岳氏が作品に込めた思いとは――。

*  *  *
<波間を漂う沖縄という小舟から、遠ざかっていく本土という巨船に向かってありったけのロープを投げているような気持ちで書いた>

 著者は東京都出身の沖縄タイムス記者である。沖縄在住20年。抜け目のなさと青臭いほどの正義感が同居する性格も、記者としての力量もよく知る元同僚が書いた渾身のルポだ。なのに、読み進めるのが苦しい。市民の抵抗むなしく高江のヘリパッドは完成し、米海兵隊のオスプレイによる運用が始まった「結末」を知っているからなのかもしれないが、それだけではない。

 ことし2月、都内でたまたま著者と再会した。真冬なのに日焼けが消えず、頬がげっそりこけていた。読みながら、その姿が何度も浮かんだ。

 阿部はどんな思いで高江に通っていたのか。

「高江で起きたことは今の日本の危機の縮図、とことん煮詰めて濃縮したエキスのようなものだったと考えています」

 沖縄本島の中でも「辺境」といえる地で、容赦ない国家の暴力と抑圧が続いた。本書にはその現場で身体を張り、丹念に拾い集めた事実が連なる。大げさではなく、命を削る思いで刻んだ文字なのだと思う。現場に通い詰めた記者でなければわからない、路上で抵抗する人たちの細かな機微や心情をくみ取っている。

 狭心症を患い、血圧が上がると命の危険がある男性(64)が高江で機動隊のむき出しの暴力に触れ、こんな言葉をこぼした。

<なんでこのありさまなのか。機動隊員だってかわいそうだ。日本人よー。早く気付いてほしい。そうじゃないと近い将来、沖縄と同じ目に遭うよ>

 機動隊に強制排除された際、小指を5針縫うけがを負った女性(87)はこう嘆いた。

<私はね、死んで腐った人間が入った水を飲んで生き延びてきたんだよ。ここは沖縄だ。こんなばかなことをやるんだったら、その水の味を知ってから来い>

 この女性は沖縄戦のある夜、戦場で水たまりを見つけて渇きをいやした。翌朝明るくなり、その中に遺体が浮かんでいたことを知った。女性の行動原理は明快だ。

<今、ここで基地を造らせたら、沖縄にまた戦争が来たら、亡くなった人たちに申し訳が立たない>

 本書はほぼすべて実名で記されている。信頼関係がなければ成り立たない取材だ。この人たちを「活動家」と呼ぶのか、「市民」と呼ぶのかでイメージは大きく異なる。

 著者の視線は路上で異議申し立てをする人々にとどまらない。沖縄防衛局職員、受注業者、米軍兵士の声にも耳を傾ける。現場の「個」から、国家権力の本質と矛盾が浮き彫りになる。

 高江では取材中の記者が機動隊に一時拘束される事態も起きた。阿部はライバル紙の記者やフリーランスのジャーナリストとも心を通わせ、「現場記者」の思いをこうつづる。

<沖縄の山奥で起きるこういう現実を山奥に封じ込めさせないため、記者は足を運んだ。高江ではこの国のむき出しの権力、本当の姿が表れていた。それを記録し、有権者に判断材料を提供することが、民主主義を機能させるために欠かせない。警察までが中立の立場を放棄した後、第三者は私たち記者しかいなかった>

 基地反対派や地元紙を批判したり揶揄したりする「情報」が、驚くほどのスピードで「新鮮な切り口」あるいは「真実」として消費され、浸透している。

 著者とは別の元同僚から、最近こんなメールを受け取った。

「自分の書いた記事がヘイトの対象になり、ネットでは署名記事への辛辣な批判が並べられ、とても息苦しさを感じています」

 基地問題で沖縄に「糾弾」されるのも、基地反対運動に寄り添うばかりの定型化した「沖縄報道」もうんざり、という空気はネット上だけにあるのではない。反対運動にかかわる人たちを「識者」やタレントがテレビ番組で公然と嘲笑したり、政治家が批判したりする風潮がむしろ「定型化」した感すらある。本土で「沖縄」を発信するのはもっとハードルが高い、と元同僚に伝えても息苦しさは増すだけだろう。だから、容易に返信を送れないでいる。

 だが、阿部は「フェイク」に対しても現場取材で立ち向かっている。

 高江や辺野古で基地反対運動に参加する人たちは日当をもらっている、というデマが一部メディアで執拗に流されている。本書では、那覇市の県庁前から辺野古行きのチャーターバス(往復1千円)に乗って2日に1度、辺野古新基地建設の反対運動に参加している年金暮らしの女性(75)を紹介している。女性は月1万5千円の費用をねん出するため自宅のガスを止めた。冬場は電気ポットで少しのお湯を沸かし、体をふいていると明かす。

 市民の抵抗の主戦場は、高江から再び辺野古に移りつつある。阿部は言う。

「辺野古は、2016年後半の半年間で『決着』してしまった高江に比べてはるかに大規模で、長い期間がかかる工事です。高江で加速した、例えば機動隊員による市民への暴力や抑圧が、辺野古で緩慢に、着実に続いています。辺野古新基地建設について沖縄はこれまで、選挙、住民投票、県民大会、要請行動とあらゆる民主的な方法で繰り返し反対の意思表示をしてきました。もう気付かなかったことにはできないはずです。もし本土世論が辺野古新基地建設も見過ごすとしたら、それは見殺しであり、確信犯的な加担です」

 政府だけではない、「本土世論」が沖縄の声を封じる重しとなっている。その現実を指摘しないわけにはいかない。

「沖縄」は多様だ。辺野古や高江の新基地を容認し、政府と対峙するのを良しとしない人たちもいる。ただ、賛否両派の分断を招いているのも過重な基地負担ゆえである。政治的スタンスとは別の次元で、日常的に基地と向き合わざるを得ない暮らしがどれたけ酷な苦痛を強いるものなのか。「遠ざかっていく本土」では、それがますます見えにくくなり、明らかに正当とは言えない「沖縄観」が巷にあふれ過ぎている。今や誰に向かって、どう反論すればいいのかもわからない。

「本土」のその誰かに、ぜひ本書を手にとってもらいたい。(AERA編集部・渡辺豪)

阿部岳(あべ・たかし)
1974年東京都生まれ。上智大学卒業後、97年沖縄タイムス入社。著書に『観光再生―「テロ」からの出発』(沖縄タイムス社)

※AERAオンライン限定記事
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