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2017年10月25日11:16

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一寸の虫にも五分の魂

動画見たけど、俺には蹴られる寸前、盲導犬が怯えてるように見えるんだけど。
常習的にやってた?
ま〜反省してたっいうし、今回のことは水に流すとして・・・・
それでも、もうこの人に盲導犬は渡さない方がいいね。
罰とかそういう意味合いではなく、この盲導犬だって本当に必要としてくれる
家族の元にいた方が幸せじゃあないのかな?
目が見えないから、いつ誰にぶつかるか、何にぶつかるかわからない。
もしかしたら面白半分に白杖を蹴る輩もいるかもしれないし、見ないということは
かなり怖いだろう。 そういう怖さって、目が見える俺にはわからない。

だけど、犬だって言葉を喋れないんだよ。いつ蹴られるかもしれない恐怖に
怯えながら仕事をしなきゃならない。『痛い!! 』『辛い!! 』『もうやめたい』と
思っても、飼い主を安全に送り届けなきゃいけない。そう訓練されてる。
投げ出すことなんてできない。
不満を漏らすことも、気持ちを吐露することもできない。噛み付いて抗議する
なんて、盲導犬としてはとんでもない話。(俺としては『やってやれ』って思うけどね(笑))
ずっと横にいて、耐えつづける・・・・そんなこの子を思うと胸が痛くなる。
盲導犬だけじゃあない、すべての犬や猫や動物は、人間のストレスを発散するために
だけ存在しているわけじゃあない。歩くサンドバックじゃあないんだよ。

自分が生きているかぎり、必ず命を奪って生きてる。それは人間がうまれながらに
背負う業(ごう)。 その糧になってくれていることへの感謝の念を忘れちゃあいけない。自分への戒めを緩めちゃあいけないんだと思う。
盲導犬も同じこと、人間に従い、気を使い辛い仕事を毎日するなんて、本当は
駆け回って遊んで昼寝して、お腹が減ったらご飯を催促して・・・・・
自由気ままな毎日がいいんじゃあないかな?
ても、仕事に誇りを持ってやってる(少なくても俺にはそう見える)
力を貸してくれることへの感謝。それは忘れちゃあいけないんだよ。
(自分が)人にしたお節介は忘れても、
人から受けた恩は忘れちゃあいけない。

一寸の虫にも五分の魂
一寸の虫にも五分の魂とは、小さく弱い者にも、それ相当の意地や根性があるのだから、どんな相手でも侮ってはならないというたとえ。
体長わずか一寸(約三センチメートル)の虫でさえ、その半分にあたる五分の魂があるという意味から。弱者を侮ることへの戒めや、自分の意地を示すときなどに使う。

アイメイト協会が「盲導犬を蹴る動画」の見解を発表 「個人を攻撃する行為は“ネット私刑”にあたる」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4828383
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