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2014年12月17日20:48

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【天皇陛下の仁徳】

 こんばんは。東城皐月です。今日はサッカーのトーナメント戦で優勝しました。最後に私がゴールデンゴールを決めました。とてもラッキーでした。さて、今回は、天皇陛下の話をします。

 天皇陛下というと、我々から遠い存在だと思われるが、国民の象徴と言われるように常に国民の立場に立った行動をなされていて、敬愛の念を感ぜざるを得ない。

 27歳で即位された昭和天皇が、1931年(昭和6年)11月、鹿児島県から軍艦にお乗りになられて帰京される旅の途中、陛下が暗くなった夜の海に向かって、ひとり挙手の礼をなされているのに、お付きの者たちが気付きました。

 彼は、不思議に思って、海の方を見渡すと、はるかに遠く見える薩摩半島の海岸で、天皇陛下の軍隊をお見送りするため、村人たちが焚いたと思慮される葺火(かがりび)の列が見え、思慮深い陛下はそれに対して答礼されているのでした。お付きの者たちは、陛下のお優しい心に深く感銘し、すぐさま、陛下のおられる軍艦からサーチライトが点灯され、村民たちのいる海岸を明るく照らし出したそうです。

 また、太平洋戦争中の1942年(昭和18年)、米国のアリューシャン列島の小さな島、アッツ島(日本名:熱田島)の守備についていた山崎保代部隊長から大本営宛てに、米軍との激戦で、玉砕を目の前にした次のような悲壮な電報が打電されました。「自分は、アッツ島守備の陛下の大命を拝し、守備に当たって参りましたが、アメリカの海兵隊三個師団の上陸を許し、任務を全うできなくなってしまい、誠に申し訳ございません。明朝を期して全軍で突入するつもりですが、それと同時に一切の我が方の通信機器を破壊し、暗号書も全て焼却します。皇国の天壌無窮を心よりお祈りしております」

 翌日の朝、天皇陛下は、この報告を静かに聞かれ、いくつかの質問をされた後、最後に、「アッツ島の山崎部隊長に電報を打て」と命じた。そして、「アッツ島の守備隊は、最期まで非常によくやった。そう私が言っていたと打電せよ」と。

 しかし、その時点では、山崎部隊は、アッツ桜となって全て散った(玉砕した)後で、この世にいるはずはなく、また、たとえ電報を打ったとしても、通信機器類も破壊されているので、絶対に届くはずがないのです。陛下のお言葉に疑問をていした報告者は、恐れながらも、陛下のそのように申し上げて顔色を伺うと、陛下は、こうおっしやいました。「届かなくてもいいから、電報を打ってやれ」と。天皇陛下の仁徳(仁慈)の御心に触れた報告者は、はっとした瞬間に止めどなく涙があふれてきて陛下のお言葉を書き写すことさえもできなくなったと言われています。

 さらに、ドイツのオットー・ガロンという博士は、天皇陛下について次のように語っています。「ローマ大帝国やナポレオンのいたフランスでさえも、一度、戦いに負ければ、亡びている。我がドイツ国のカイゼル陛下にしても、また、生前中は、神の如く慕われていたアドルフ・ヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたら、すべてそのまま生き残ることはできない。殺されるか、外国に逃亡して寂しく死んでいる。だから、私は、日本の天皇も海外へ亡命するものと思っていた。しかし、そんな話を聞いた試しもない。したがって、既に、天皇はこの世におられないと思っていた。

 ところが最近になって、日本の記録映画を観て、びっくりした。天皇陛下が敗戦で大混乱の焼け野原を巡っておられるお姿である。しかも、皇居を離れ、2年もの長期にわたって、北の端から南の端まで。焼き払われた廃墟をまわって、国民を慰めておられる。

 陸軍も海軍も既に武器を取りよげられ、解体されているのに。一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。平穏無事な時でさえも、一国の元首が、自分の国を廻られる時には、厳重な警備が敷かれるというのに。それでも暗殺される国王や大統領もいる。それなのに、一切の守りもなく、兵力の守りのない天皇が、全国を縦断し、焼き払われた廃墟を巡って国民を慰安している。何という命知らずな大胆なやり方だろうか。いつ、どこで殺されるのか。

 こう思って、私は記録映画に釘付けとなっていた。しかし、驚いたことに、日本の国民は、日の丸の小旗を打ち振って、天皇を大歓迎している。こんなに美しい国の元首と国民の、心からの親しみ、固い絆(きずな)、これらは、どこの国にでも見られない光景である。そして、我々は、改めて、日本を見直し、日本人に敬意を表したい」と。

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