深刻といえば深刻、大したことないといえば強い人から見たら大したことないんだろう我が家。
私は自分の得体のしれない苦しみがわかって、富も名声も儚いものなのだと教わっておきながら、若い時ちょっと才能あるからって賞取ったり絵がロビーに飾られたりして、自分の未来は名声を浴びるものだと20歳そこそこで信じてやまなかった。でも12歳の頃から対人恐怖症で就活の頃になると、社会が怖くて家から出られなくなった。
祖母が「就職もしないで生活費も入れないで何やっとるか!」って大声で怒鳴っていてますます八方塞がりになって、そこでようやく精神科の門をくぐった。
最初は抑うつ神経症。
そこから治療を進めていくうちに
「自分がない」
分裂型人格障害
2年前は
解離性同一性障害
今は統合失調症
精神病のオンパレード。
わたしの人生、こんなはずじゃなかったのにという思いと現実みなきゃ!という意思が交錯して、苦しんでいた。
苦しみを「言葉」に出来たら、それはもう治っているのだと昔カウンセリングで言われた。
昨日祈っていて、ふつふつと沸いて出た思いだ。
だから、入院する必要はないんだけど、すごく疲れていて家計簿つけたりたまに炊事したり洗い物したりするのも苦痛で避難所みたいな形で入院した。
栄光は儚いものなのに目指す人は栄光を目指す。私もそのひとりだった。栄光を掴める人はほんの一握りでコツコツ苦労してる人なのに、私は上辺しか見ていない。浅はかだ。
病気になって、日常生活が負担になるまでになって、気がついたらお母さんの面倒をみないといけない年。誰も代わってはくれない。これが今あるわたしのほんとうの現実。
潰れちゃう子は潰れちゃうんじゃないだろーか…。
栄光はもういいの?って訊かれたら、半分は、もういい、と諦めてる自分がいて、半分は栄光を掴めなくても生涯、描いていければいいと貫きたい自分もいる。
去年からだけどオリジナルの年賀状が売れてきている。
実用性のあるものは売れる。地道にやっていけばいいんだろう。この謙虚さが若い時無かった…。天狗だったなぁ…。
家の収入が減ってきてるので、私の年金から補填しないといけない。毎月の携帯代だけでも痛い。いっそ解約してやろうか。
でもまだましな方なんかな。比較した事ないから分かんないけど。
ただ、現実って厳しい…。お姉ちゃんが清掃の仕事行ってた時に出会った人々はどんなに過酷な状況下でも「生きる」自分の稼ぎで家族を養うお母さん達。
その分他人の事考えるゆとりない、てお姉ちゃん言ってた。
孤独に手を差し伸べる「おせっかい力」というのが今求められているらしい。栄光もいいけど、他者への奉仕精神も大事なんだよな。
私に何ができるかな。
終
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