小百合ママの電話は義之を驚かせた。義之の母親だと名乗る車椅子の老婆が訪ねて来て、事情があって義之と離れて暮らしていたが、余命いくばくもない身体になると、どうしても死ぬ前に義之の顔が見たい。会って詫びを言い、許しを請いたいと相談を受けたと言
電話の相手は小百合ママだった。今は実家のある鹿児島へ戻っていて、店を息子に任し、会長として眼を光らせている。母親の介護をするために鹿児島店を作り、介護関連の企業を立ち上げ、店も会社のグループに組入れたのだ。義之は鹿児島店の立ち上げにかかわ
「家族でお店をするなんていいわねぇ・・わたしも将来娘と一緒にお店したい・・」 沙耶の寂しげな声。あ、そう言えば沙耶は子供を奪われて追い出されたんだったと、義之は何気に沙耶を見た。表情は寂しげだ。が、なんとなく芝居じみている。本当に子供を産ん
小説 夏物語 35 心の問題は基本的には本人の意志の問題であり、親や医師に出来ることは見守りしかないと、義之は思っていた。長年喫茶業にいると、いろんな人に出会う。 カウンターに座った中年の男性が突然しゃべり出し、話しかけられたと思って顔を向
小説 夏物語 34「それならなおさら子供達と連絡取らなきゃぁ・・子供さん達きっと心配してるわよ」「いや、そうでもないよ。反抗期と言うか思春期と言うか、中学生頃から距離を取るようになった」「あ、わかる・・娘さん二人だったよね」「あぁ・・上の娘
「お爺ちゃんは子供に会いたいって考えないの?」 沙耶の疑問はもっともだと義之は思う。一般的には、いや俺が普通の男なら、子供の電話番号も登録しているし、時々は電話して、元気な声を聴きたいと思うのだろう。女房とは離婚したが、子供は間違いなく自分
「沙耶ちゃんが同居するのはお金を節約し、将来子供と一緒に暮すことを考えているのだろう?」 不動産屋の社長が帰ってから義之は沙耶に訊ねた。沙耶がネットでシングルマザーの支援制度や子供の親権に関する法律などを調べていることを知っていたので、なん
山田さんは結局アパートを引き払うことになった。県外に住んでいた子供達が、アパートを解約し、退院と同時に施設に入所させることにしたと言う。義之は結局見舞いに行かず、血だらけになって呻いていた山田さんの顔を見たのが最後だった。 沙耶は「お爺ち
警官が到着したが、アパートを管理しているのは不動産会社で、深夜のため連絡が付かず、ドアを壊して室内へ入ったのはそれから1時間も経ってからだった。山田さんの太ももに包丁が刺さっており、ずいぶん出血していたが、救急隊が応急処置をして病院へ搬送
パソコンの画面が、なぜか縦に表示されるようになって・・首を横にして文字を入力しようにも、ネットテレビ見ようにも、マウスすら思ったように動かず焦ってました。電源を切ったりどこかにキーを触ったからこうなったはずだと、動きの悪いマウスを何とか狙
「すれた女みたいなこと言うなよ」 義之はスイと身体をかわし窓辺へ近づいた。田中さんの部屋で鈍い音がした。気配で田中さんが部家の電気を点けないまま台を重ね、カメラを抱えて登ろうとして落ちたと思われた。 田中さんは沙耶の帰宅を知り、急いで沙耶の
沙耶の落ち着きの無い様は、お店をやっている時に観た何人かの女性と同じだった。身体の中のメスが渇きを覚え、オスを求めている。そう自覚していた女性もいたし、まだ若く、気づいていない女性もいた。幸い義之の店には、積極的と言うか率直と言うか、大胆
小説 夏物語 27 時計を見たら深夜11時を少し過ぎたところだ。ネットでドラマを観ていた義之はそろそろ寝なければと思い、睡眠薬を飲んだ。子供の時、父親から深い眠りにつかない訓練を強要されていたせいか、短時間の浅い眠りでも平気ではあったが、歳を
中村義之が大阪へ来た頃は、表社会も裏社会も、まさに大変動の時代であった。日本は敗戦後の復興がピークに入り、バブル時代と呼ばれる好景気で湧いていたし、成金と呼ばれる新種の裕福層を生み出していたし、外国マファイアの進出に端を発したやくざの抗争
「おまえの母親はどうやら生きているらしい。中村さんには独りだけ愛した女がいた。そしてお前を産んだ。おまえの母親はフィリピンにいた日本人で、外交官の娘だとも、大将の娘とも言われていたが、はっきりしたことはわからない。中村さん、その件に関しては
沢木親分と重富さんが現れても、義之は慌てなかった。やくざが昔の形から暴力団へと変わりつつあるとは言え、沢木親分の組はまだ名残りを残している。おおぴらに暴力を振ることはめったになく、何より敵意を持っていなかった。「さすが義坊、あの中から逃げ
翌朝、酒匂美津子は目覚めて驚いた。眼の前に義之がいたのだ。「いくら義君でも、これは許されへん。勝手に部屋に入るってあかんて・・」「美津子さん、やっぱ重富さんの彼女止めろよ。タイマンも張れないようじゃ、やくざでもない。ただのチンピラだよ。あ
義之には重富さんと争っても負けない自信があった。重富さんも武芸のたしなみがあり、沢木親分の用心棒をするくらいに強いことは解っている。やくざだから拳銃を持っていて、いざとなったら義之を撃ち殺すだけの度胸もあるはずだ。だがそれでも負けない。義
ネットで雨雲の動きを見た。義之は久しぶりに身体を動かしたいと思ったのだ。子供の頃、父親にしごかれて覚えた穂武道の術。実社会で使用することはなかったが、修練の習慣は消えない。義之は深夜、人気のない場所を探して基本の型をひととうりやったり、隠
「どうしたの?眼が怖いわよ」 沙耶の声に義之は我を取り戻した。その時、沙耶の部屋を誰かがノックしていた。「誰か来たようだよ」「またシフトが変わったのかしら?」 沙耶が立ちあがる。訪問者は沙耶が義之の部屋に自由に出入りしていることを知っている
「ひょっとしてだけど・・沙耶ちゃん、まだ赤ん坊を取り戻したいって思ってる?」 義之はずばり聞いて見た。沙耶がそう思っているのなら、代りに自分が殺してやろうかと、心の奥が叫んでいる。自分なら簡単なことだし、生い先短い命なのだ。同時に家族も親族
「でも田中さん、何考えてるんだろうね。写真に撮って、商売でもするつもり?」「まさか・・動画ならともかく、金にはならんやろ。それに、田中さん、パソコン使えないぜ。知り合いも少ないし、商売も下手そうだ。単に覗きたいだけやろ。覗くだけなら望遠鏡で
「ずいぶん熱心に調べてるようだけど、何を調べてるの?あ、ごめん聞いちゃいけないんだっけ?」 いったん切った電源を入れなおし、パソコンが起動するのを待ちながら義之は沙耶に言う。「あ、もうこんな時間・・お昼は冷やそうめんでいい?そうめん、あった
沢木の爺さんの家にいるとやくざにされそうで、義之は脱出することにした。探し出して連れ戻されても困るので丁寧な手紙を書き残した。「世話になった恩義でやくざになりたくない。だから恩義を感じる前に消える。親父に恩義を感じるなら探さないで欲しい」
「親父は重之助と言うのですか?」「なんやおまえ、父親の名も知れへんのか?」 沢木爺と女が驚いて義之を見る。「親父の名前を知る必要がありますか?親父は親父です」 応えながら義之は、時分でも驚いた。考えてみると、一緒に暗していたから父親だと思い