また一つ、偉大なる巨星が堕ちてしまった。
ドリフ世代の我々によって、一方的に神格化された感のある人物であるが、
彼は喜劇王ではなく、「志村けん」という唯一無二の分野を確立したのだと確信する。
改めて存在の大きさを実感するが、やはり酒とタバコはほどほどにした方がいいらしい。
私が生まれたのは、志村けんが「東村山音頭」でブレークを果たした年であり、
物心ついた頃には、すでに「ケンちゃん」は雲の上の存在だった。
「全員集合」での彼は自由奔放でありながら、的確に子供心をくすぐるギャグを連発し、
色濃く悪影響を受けた一人である私も、真似しては親に怒られたものである。
志村けんの原型作りに大きく貢献したのが、リーダーのいかりや長さんであり、
自身が師匠に恵まれたからこそ、志村は巨匠として支持を得ているのだと思う。
コントで年寄りを演じさせたら、志村けんの右に出る者はいないと思う。
「ひとみばあさん」が有名だが、私は「ドリフ大爆笑」での神様をイチオシする。
「とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ!」のアレですね。
シリーズ化されてて、加藤茶が演じる西洋系の神様とのやりとりは絶品です。
年寄り以外では、「オカマのお風呂屋さん」や「死にそうな芸者さん」がおススメ。
志村けんのキャラはデフォルメが強いものの、実在の人物をモデルにしているらしく、
鋭い人間観察によって多くの笑いが生み出されていたようである。
確かに、「このおじさん、変なんです!」と指摘したくなるオヤジを見かけることがあるが、
「なんだ、君は?」と言っていたマーシーが、リアルガチで変なおじさんだったとは、
さすがに志村も見抜けなかっただろうな。
志村けんを語る上で欠かせないのが音楽で、「あーみーまー、ゆーゆあゆー」は、
ビートルズの「I me mine」という曲からの出典。
「ヒゲダンス」も自分で選曲し、「変なおじさん」も沖縄音楽をアレンジしたものだから、
様々なジャンルに造詣がある人物だったことがわかる。
何年か前にCMで披露した三味線を弾く姿は、かなり新鮮だったのを覚えている。
本来、芸能人は見せる(魅せる)のが仕事であるはずだが、現在はただ映像を見て、
思ったことをコメントするだけという、実に低レベルな職業となりつつある。
私はそれにストレスを感じることが多く、積極的に視聴する番組も数えるほどしかない。
テレビなど、もはや電力のムダ使いとさえ思っている昨今である。
ただ、テレビによって妙にホッとする場面があるのも事実で、
志村けんはそうした安定感と魅力を備えた芸能人の代表格だった。
彼を「過去の人」と酷評する人もいるだろうが、彼は意図してマンネリを追求しており、
それでいて時代の風潮を積極的に取り入れる向上心を常に持っていたように思える。
そうした哲学を持たないタレントばかりが増え、制作側も芸能人を育てようとしないから、
芸能界を延命させるためだけのクソ番組が乱立するのだと思う。
「志村!後ろ!」
幼少の頃、ワクワクしながら夢中になっていた全員集合の記憶が蘇る。
果たして、志村の後ろに誰がいるのだろうか。
志村ロスはまだ続きそうだが、一方で懐かしさと新鮮さに浸ることができた。
あとは、PCエンジンの「加トちゃんケンちゃん」があれば、最高の弔いになるんだけどな。
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