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2019年01月23日03:57

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ファミリービジネスのモデルとして

■三浦さん次男、南米最高峰に登頂成功 父のザック背負い
(朝日新聞デジタル - 01月22日 00:56)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5465725
手あかがついた政治家や芸能人の「ご一家」よりも、「冒険家一家」神話は、まだまだ日本ではめずらしいのかなあ。

ワタシは73歳。
周囲の84歳が、去年秋、ワタシが一昨年参加して懲りた経験から反対したのに、歩き会のハイキングに出かけて、転倒して、打撲して、1か月歩き会にも顔出せなかった。

彼の歩き姿を見てても、体幹がゆれていて、歩きポーズもなかなか整わないのに、「行かなきゃわからない!」との自信は、どこからくるんだろう?

で、彼のサポートとしてついていった71歳のオジサンは、後で「あのコースは、崖登りだ!」と騒いでましたが。
その本人が、その後2か月で、心筋梗塞を起こして、緊急入院して、一命をとりとめている。

こうした周囲の老人の思考パターンは、やはり高齢性認知機能不全を考えてしまう。


歩き会の忘年会でも、「いつも日本酒で晩酌している」と豪語してた85歳の老人が、2合でダウン。
どうも、ワタシが目を離している隙に、周囲で酒を注いだらしい。


自称「元気。スポーツ好き」の爺さんこそ、ワタシの周囲では、結構危ない。.



「人生百年時代」だとか、「生涯現役」だとかの、健康食品やサプリメントのTVのCMに乗せられて、自分を過信する爺さんには、「強い健康志向」があるのも面白い。

ところが見ていると、「健康オタク」の老人にこそ、案外にヘタレが早く出てる。

老人の健康は、「何かの目的を成すために、健康を気遣う」のだと、無理をしないが。
「健康が目的・体力向上」が目的になると、「自己過信」の認知不全にハマリやすいようだ。

84歳をハイキングに誘った74歳指導員♂も、いろいろな場面で認知不全言動からパワハラセクハラ発言をくりかえして、ワタシに危険視しされている。

こうした指導員をチェックできないまま、ハイキングの勧誘や、真夏に熱中症対策も警戒しない歩き会の運営を任せている協会の責任は、いずれ問題になるだろう。

具体的なパワハラ問題は、氷山の一角にすぎなくて。
集団的認知不全が、背後にひろがっていることに気付かないかぎり、こうした老人の事故は減らないだろう。


で、こうしたワタシの視点は、94歳で亡くなった、職人だった親父の生き方(死に方)が、ワタシにはモデルになっている。


で、このブラジルの高山登山のニュースは、我々のような市井の素人の老人には話が遠おすぎて、近所の「勇敢な元気老人」の空想妄想には、さのみ影響あるとは思わないが。

予想できない発想をするのが、老人の認知機能不全なわけで(苦笑)

この数年の経験で、「自分はボケてない」と偉そうに強調してくる老人には、ワタシはなるべく近寄らないことにしている。


なんであれ、現代の老人医療は、「無病息災」の維持管理にはあまり熱心ではないようなので、利便性だけを見れば、「一病息災」ぐらいが良さそうだ。


それもあって、今年にはいってワタシも、酒をやめて、ダイエットすることにした。

しかし夫婦2人だけの生活では、古女房が、まずはダイエットの最大の敵であったりするわけで。

高い山を目指しての冒険よりも、自分の生活習慣の改善の方が、ワタシにははるかに厳しい挑戦になっている(笑)

なんであれ、70,80歳過ぎた老人には、「毎日が命懸け」であることには、かわりがない。

実は、正月に栄養士に相談するまで、名残雪のように毎晩チビチビやってた晩酌が、案外カロリーが高いことに、気づかなかった。

それを「週3日にしましょう」といわれて、「全部やめる」ことにしたのは、ここ3年週3回歩きまわっても、体重が1,2kg以上は減らなかったからだ。


この経験がなかったら、多分いきなり「酒やめろ」といわれても、反発しかなかっただろう。


それほど、「無病息災」の維持管理は、適切なアドバイスよりも、「親父のように職人として死にたい」という目標にむけての、残り少ない時間の菅理意識がないと、ムズカシイようだ。

それだって、「死ぬまでの時間つぶし」を実現するためのダイエットも、まだ始まったばかりで。

若いころより、余計な色気がなくなったので、管理が楽になった気がするだけで。

また大酒飲みには、もどらないだろうが。
明日の知れない高齢者人生は、毎日が冒険ってことだ。

それでも暴走していた若いときは気づかなかったことへの発見は、公園で1歳児を観察しててもいろいろあって、結構たのしい。


桜の古木が春に花をつけるとき、生と死を同時に見せる姿に気づくことが、日本人古来の美の象徴のひとつの姿で。
表現された作品に、風韻をもとめる日本人の美意識は、美と老醜の組み合わせに、感動する能力をもっている。

だから日本人の芸術家は、平均寿命が長くなった現代では、70歳すぎないと、芸の域には達しない。

そこいくと、ワタシなど、まだまだ駆け出しだの素人の暴走族だ(苦笑)



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