自分の選択の責任は自分で取らないといけない、と言うのが僕の持論です。
僕は関西の三流どころか四流、五流の足下にも及ばない、七流くらいの文系私立大学を卒業して、最初に就職した会社が今で言うブラック企業だったので数ヶ月で退職して、やっとみつけたのが機械を動かすコンピュータープログラムの設計の仕事でした。
それまでプログラムなんか勉強したこともなく、そもそも文系なので、機械のこともサッパリわかりません。
理系大学で専門知識を身に付けてきた社員なら当然わかるような簡単なことも、僕には全然わかりませんでした。
そんなていたらくですから、当然、たいして仕事もできず出世することもなく給料があがることもなく、今では左遷されて会社の片隅で仕事してますが、これは僕の選択の結果なので、会社に文句もありません。
大学で文系を選んだのも僕、やったことないのにプログラム組む仕事を選んだのも僕、そのまま年数を重ねたのも僕なのです。
大学で勉強した専門分野の仕事をしていたら、もっと仕事のできる社員だったかも知れません。
だけど、当時の僕は、やりたい仕事をするために派遣社員になる、と言う選択をせずに、全くの専門外だけど町工場の正社員になる、と言う選択しました。
1990年代後半と言うのは就職氷河期と言われていた頃で、派遣社員なんて、いつ契約を終了されるかわからないくらい不安定だったので、それなら専門分野の募集でもなく、名の通った大手の企業でもないけれど、正社員の方がいいと思ったからです。
派遣社員でも定年退職まで雇用が保証され、待遇も正社員と遜色ないなら、派遣社員でやりたい仕事をすると言う選択もあったと思いますが、当時の派遣社員は今以上に不安定でしたから。
やりたい仕事をするためにいつ契約を終了されるかわからない派遣社員になるか、やりたい仕事ではないけれどいくばくかの安定のために正社員になるか。
僕は後者を選び、この記事の男性は前者を選びました。
それだけのことなんです。
この記事の男性も僕も、今の立場や待遇に不満があるなら、会社に文句を言うのではなく、過去にそんな選択をした自分自身に文句を言うべきなんだと思います。
> 男性は就職氷河期の1995年、工業系大学の機械工学科を卒業し、機械メーカーに就職した。だが、やりたかった設計の仕事ができず、2年で辞め、派遣会社の社員となった。すぐにいすゞ自動車への派遣が決まった。以後22年9カ月のほとんどを藤沢工場で過ごし、エンジンの設計業務に当たった。(記事より抜粋)
■いすゞに23年、納得いかない派遣切り「モノのよう」
(朝日新聞デジタル - 05月01日 13:53)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6504055
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