車椅子の人が不自由なく過ごせる社会になって欲しいと思います。
いや、車椅子の人だけじゃなくて、その他の障害を持った人達も同様に不自由のない社会になって欲しいと思います。
腕の不自由な人は、駅で切符を買ったり自動改札に切符を投入するにも苦労しているかも知れません。
目の不自由な人は、標識も見えず流しのタクシーを拾おうにも走ってきたのがタクシーかどうかもわからないかも知れません。
耳の不自由な人は、日本の映画に字幕がついていなくて楽しめないかも知れません。
僕は取り立てて何の障害も持たないので、足の不自由な人、腕の不自由な人、目の不自由な人、耳の不自由な人、他にもいろんな障害を持った人達が、どんなことに不自由を感じているのかわかりません。
僕等が気がつかない些細なことに不自由を感じていたり、もしかしたら、僕等が勝手に不自由だと思ってるけど実は障害を持った当の本人にしてみれば、それほど不自由を感じていないこともあるかも知れません。
たぶん、僕等には何が不自由なのかわからないので、障害を持った人に不自由に感じたことを言ってもらわないとわからないんじゃないかと思うのです。
障害を持った人達が何不自由なく過ごせる社会と言うのは、不可能なのかも知れないけれど、障害を持った人の意見を否定するのではなく、100%満足させられないとしても、ちょっとでも不自由を軽減できる代替案でも見つかればいいなと思います。
■車いす「乗車拒否」ブログ見た駅員の葛藤「訴えは、もっともです。ただ…」 実態は「現場の善意任せ」
(ウィズニュース - 04月16日 07:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6485580
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