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2020年07月16日14:35

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巣籠バルヒェット

 コロナ・・・・京都でも再び感染者の増加傾向がみられ、ここ数日の動きは明らかに”第二波”と言える動きを見せている。興味深いのは第一波感染拡大の時と同じように今回もほぼ東京の拡大方向と約1/10-1/20倍のファクターで拡大傾向がほぼ相似形を為しているように見えることで、これは京都の感染拡大も地域的・局所的な独立した現象と言うよりは我が国(特に首都圏)の傾向と連動したものだということで、今回のCOVID-19の病理学的特徴を示すものの様である。
こうした感染傾向の連動性と言うのは世界的に見てもあるようで、第2波到来の傾向は欧米・アジア各国(第1波を上手く乗り切った・・・と見られる国を含む)でも多かれ少なかれ見られるようだが、第一波の経験と、将来見通しの不確実さ(第3波、第4波・・・も想定する必要があるのか?)のバランスの間で、各国・各自治体も第2回非常事態宣言を行うかどうかの判断は悩ましい。
それにしても、”自粛要請”・・・・という主体が何処にあるのか判り難い(”自粛”は勿論”自ら”おこなうものだが、それを他人(国、自治体、etc.)が要請(強要?)する)言葉に対する、国民側に見え隠れする意識と言うのは中々興味深い。「粛」と言うからには何はともあれ行動制限であり、本来”(法に触れない限り)自由に振舞ってよろしい”・・・と言う近代的人権意識にはそぐわないものを、”自ら”という言葉をつけて何とか合理化じているのが”自粛”概念だが、「自粛要請」はそれを他人が要請する・・・と言うところが”誰が?””何を?”と言う主体を曖昧にしている。”自”を主体と考える向きは、”粛”の範囲は自分で決める・・・・と言い、”要請”する他人を主体と考える向きは、”粛”の範囲は要請の主体が決める・・・と考える。そう言った、混乱の最も面白い表れの一つは「自粛要請を早く発令してくれ(・・・・そうすれば、私も自粛するから・・・?)」・・・と、自粛を要請される側が国・自治体等(他人)に”自粛要請”を要請する心理で、こうなると”粛”のもつネガティブな側面に関する”自”と”他”の責任のなすりつけ合いに見えるだけで、自粛要請の意味合い自身が殆ど失われてくるように思える。更に”自粛要請”を要請する心理の中にはどうも”それでもその要請に従わない連中を炙り出す”・・・と言ったニュアンスがあるのも気になる。
今回の判らないことのまだ多いコロナ禍では、今の所、専門家の判断も根拠と言う点では素人の判断とそれほど変わらない。ましてやその専門家に判断を仰ぐ政治家の判断は”素人並み”以外の何物でもない。そうであれば、”自粛要請の要請”を声高に叫ぶのもあまり意味の無いことに感じられて、”自粛”はあくまで”自”のモノであることを肝に銘じておきたいように思う(それに自粛行動の実行を他人に依存することには、(中国のように?)”(罰則付き)自粛”を利用して国民の行動制限・管理と言った政治的意図を”要請”に紛れ込ませかねない・・・と言った危惧もある)。


今週のCD→HD移行作業の中から・・・
 バッハ:ヴァイオリン・ソナタ BWV1014-19、ラインホルト・バルヒェット、vn : ヴェイロン・ラクロワ、cembalo
懐かしい演奏。これらの曲を私が初めて聴いた録音でもあり、これらの曲では今も最も親しみを感じる録音でもある。私がエラートのLPを手に入れたころから”隠れた名盤”の誉れが高かったが、モダン・ヴァイオリンの演奏であり、ラクロワのチェンバロも現代の”古楽器”概念から見れば随分モダナイズされたチェンバロで、ピリオド時代の現代ではこう言った演奏は中々聴く機会も少ない演奏でもある。
バルヒェットは1920年生まれで1961年に41歳の若さで亡くなったこともあり、演奏家としては全盛期を迎える前に亡くなったのは残念だが、ナチス期にほぼ絶滅したドイツ・ヴァイオリンの伝統(の一部)を”戦後”ドイツに引き継いだ人でもあり、今聴くとドイツの”戦後”という時代を色濃く感じさせる演奏家でもある。バルヒェットがドイツ・ロマン派だけではなく、積極的にヴィバルディなどのバロック音楽も取り上げたのは、シュトゥットガルト出身のバルヒェットにとってはナチス期ドイツからの脱却という意味もあったと思われる。
このバッハでも、”ドイツ的”と言うことに新しい意味を見出そうとする意志のようなものを感じるところが有って、スタイルこそ違うけれど、そこにはカール・リヒターなど戦後ドイツ(特にナチスの本拠地でもあったドイツ南部)での音楽復興を担った音楽家と共通の響きを聴くことが出来る。
ヴァルヒェットのバッハは現代のピリオド感覚から言えばロマン的に過ぎるのかもしれないが、当時(そして私にとっては今も)バッハの音楽から何を聴きたい(聴くべき?)と思われていたのか・・・・を切実に伝える演奏でもあり、それは現代の”ピリオド”に付きまとう教条的な”原点回帰”と対比して音楽(演奏)の意味を考えさせてくれる。

その他
久しぶりに、私が公開しているスペクトル解析のプログラムに新しい機能を付け加えることにして、プログラミングをボチボチ開始。ここ数年来、考えていたがなかなかその機能を実装する具体的な手法を考え付くことが出来なかったものが、先週何故か突然思いついたアルゴリズムがあって、予備的に試してみるとどうも上手くいきそうなので、やって見ることにした。年相応にぼけた頭で、実行の効率は昔のようには上がらないが、考えていること自体ボケ防止にも良さそうなので、まあ慌てず騒がず、いつ完成するかも当てにしないでアレコレ弄ってみようと思う。

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